4月21日はil Natale di Roma ローマが生まれた日=創建記念日とされています。今年で2775回目の誕生日でした。ローマの誕生日をイタリア語版Wikiの説明で見てみましょう。以下要約です。
「はるか昔Dies Romanaと呼ばれたローマ創建記念日は別名Romaiaの名でも有名である。ローマの街創建に関係する祝日で4月21日に祝う。マルクス・テレンティウス・ヴァッロ(前116~27年古代ローマの文学者、文法学者、軍人、農業家)が伝えるところでは前753年ロムルスがローマの街を作った。4月21日に定められたのはヴァッロの友人であるルシウス・タルンティヌス・フィルマヌスの占星術の計算による。ローマの年代記はローマ建国紀元(ローマの慣用句Ab Urbe ondita)すなわち街を創建した日から始まっている。
帝国を宣伝する道具として創建記念日を祝うことで、創建年の問題に重きが置かれるようになった。クラウディウス帝以降ヴァッロが考えた計算方法は他にも適用された。クラウディウス帝はローマ創建から800年後に創建を祝った(後47年)最初の皇帝である… 以降アントニヌス・ピウス帝が後147年~148年に祝い、フィリップス・アラブス帝の時に後248年創建千年を祝うなど定期的ではないが受け継がれてきた。その後西ローマ帝国が消滅し、ローマに数多くの移民が流入し蛮族が支配するようになると多くの伝統や風習などが失われローマ創建記念日もまた忘れられた。
(中略)
時代は下って19世紀リソルジメント(イタリアの革命ともいわれる、イタリア統一運動の時代)のころ、数名の人文主義者(古典学者)がローマ創建記念日を伝統として復活させた。
ファシズム政権下では公式の祝日になったが、アントニオ・グラムシ曰く強引にイタリア王国の首相になったムッソリーニ=ファシズム政権に歴史的正当性を与えるためにローマ創建記念日を復活させたという。こうして1924年4月21日から「ローマ創建記念日」と命名されて祝われるようになった。ムッソリーニは5月1日メーデーを排して4月21日のローマ創建記念日をメーデーにしてしまったが、1945年の法令により廃止され、現在では5月1日メーデーと区別するためにローマ創建記念日は首都のみに限定されている」
(訳ここまで)
今年は21日から24日までチルコ・マッシモでグルッポ・ストーリコ・ロマーノによる古代ローマの儀式や歴史を再現した一連の公演があり、また博物館や展覧会は無料、ジョヴァンニ・バラッコ美術館やマクセンティウス帝宮殿の地下遺跡を見学するガイド付き考古学スペシャルツアーなど様々な催し物がたくさんありました。
4月17日は復活祭でした。2年ぶりに新型コロナ感染予防規制が解除されて4人に1人のイタリア人が旅行に出たのを皮切りに、21日のローマでは多くの人が外出し春のうららかな陽気の下で久しぶりの祝祭を楽しんだのでした。