コラム

「4月25日 イタリア解放記念日 ①ムッソリーニ」

karakimami

去る4月25日は「イタリア解放記念日」でした。日本ではイタリアの現代史は馴染みがないので、同記念日の説明をWiki(イタリア語版)で見てみましょう。

「Anniversario della Liberazione d’Italiaイタリア解放記念日」

 “市民諸君、労働者諸君!ドイツの占領やファシストの戦争に対抗してゼネストだ。我々の祖国、家、職場を救うために。降伏か死か、ジェノヴァやトリノでやったようにドイツ人を追い詰めろ”(Sandro Pertiniのゼネスト宣言、1945年4月25日)

「イタリア解放記念日」は別名「Festa della Liberazione解放祭り」あるいはシンプルに「4月25日」としても知られるイタリア共和国の国民の祝日で、毎年4月25日ファシズム政権とナチスの占領からイタリアが解放されたことを祝う記念日のこと。イタリア史にとって極めて重要な日であり、第2次世界大戦中、1943年9月3日連合国軍との共同軍とパルチザン抵抗運動による“カッシービレの休戦”(訳注:カッシービレはシチリア州シラクーサの小さな集落)から始まった政治と軍の抵抗運動が勝利したことのシンボルとして特別な意味を持つ。

                      (訳ここまで)

 ここに説明を少し加えます:イタリアは第2次世界大戦中、枢軸国陣営に属しドイツと並んで戦いますが1943年連合国軍がシチリアから上陸し降伏(休戦)しました。1943年7月25日、国王ヴィットリオ・エマヌエレ三世が発令した逮捕状によりムッソリーニは逮捕されてローマのカラビニエリの兵舎に連行されました。その後ティレニア海のポンツァ島に連れて行かれるものの、同島には追跡するドイツ軍に対抗できるほどの設備がなかったためラ・スペツィア(リグーリア州)を経由してサルデーニャの北東部に位置するマッダレーナ島に行き、同地でムッソリーニはドイツ軍精鋭たちによる秘密作戦により救出されてドイツに行きました(1943年8月27日)。

 そして同年9月23日ムッソリーニはイタリアに帰国し、新政府を樹立。それがLa Repubblica Sociale Italiana(イタリア社会共和国)で、支配地域はローマから北部一帯でした。ロンバルディア州ガルニャーノに陣取ったイタリア社会共和国の実態はドイツの傀儡政権で、ムッソリーニが統治する余地は僅かでした。とはいえヒトラーはムッソリーニを師と仰いだ時期があったこともあったので、ムッソリーニとファシズム指導者たちにもある程度の自治権は認められていたようです。ムッソリーニに忠誠を誓ったのは経済界とイタリア人兵士たちだけでした。 以降ムッソリーニが銃殺されるまでの2年間、状況は徐々に悪化し枢軸国の敗戦がほぼ確定的になる中、イタリア国内のドイツ軍は敗走しムッソリーニはミラノに移ります。

 1945年4月20日と22日に最後のインタビューに応じた3日後、25日枢機卿 Ildefonso Schusterと会談しました。ムッソリーニが枢機卿に会いに来る少し前、ナチス親衛隊司令官は枢機卿に「ムッソリーニはもはや必要ない、まもなく同盟を解消する」と言いました。枢機卿からこの事を知らされたムッソリーニは“ドイツにまで見限られた”と枢機卿との会談を打ち切り大司教館から飛び出していったということです。

 その後、ミラノを出た動機は未だに不明ですが、ムッソリーニ一団はコモ湖方面に向かいました。逮捕前の最後の晩(4月26日)はスイスとの国境から数キロの町グランドラで過ごし、翌日信頼できる側近数名と愛人クララ・ペタッチを伴って再びコモ湖を目指す途中の国道で引き上げ途中のドイツ軍とイタリア軍に合流しますが、コモ湖畔の町ムッソでパルチザンに捕まりました。

 長い協議の結果、ドイツ軍は強制捜査後に帰国が許され、イタリア軍は拘束されることになりました。ムッソリーニはドイツ軍の下士官用コートと帽子で変装し、ドイツ軍のトラックに乗って逃亡を図りましたが、同軍はコモ湖畔の町ドンゴで再びパルチザンによって捜査され、その時ついに逮捕されました。4月27日ドンゴの市庁舎で一晩尋問され、28日愛人など他15名と共に銃殺されました。次の日16人の遺体はミラノのロレート広場で足首から吊るされて民衆の見世物になりました。

 ところでイタリア王国はカッシービレの休戦後、国内で政治と軍で構成されたナチスとファシズムに抵抗するレジスタンス運動が起きましたがパルチザンは正規軍に属していたわけではありません。パルチザンはイタリア語で Partigiano(パルティッジャーノ)、文字通り“di parte”(体制に反対する)の人たちの寄せ集めであり、レジスタンス運動の非正規武装団だったのです。ですから捕まったら何をされるか分からない…ムッソリーニはパルチザンに捕まる事を非常に恐れていたという事ですが、まさにその通りの展開になりました。

                      (第2部に続く)

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