2016年2月16日、イタリアの偉大な知識人ウンベルト・エーコ(Umberto Eco、哲学者、小説家、記号論学者)が84歳で亡くなりました。死因は癌でした。彼の小説「薔薇の名前(Il nome della rosa)」はショーン・コネリー主演で映画化され、これにより作家としても世界的に知られるようになりました。
さて、ウンベルト・エーコは「La bustina di Minerva」でイタリア語を書くときに注意するべきアドバイスを書いています。イタリア語に対する彼の姿勢も垣間見られ、またいくつかは日本語の使い方にも通じるところがあるように思います。今回は彼の死を悼んで、それをご紹介しましょう。
「イタリア語をきれいに話す&書くための40の決まり」
1. 自分を馬鹿に見せたいと誘惑に駆られても、頭韻法は禁止。
訳注1 頭韻法は連続する単語が同じ音の子音または文字で始まるものを指す。 例:Peter Piper picked a peck of pickled peppers(英語)
2. 接続法は禁じられるべき語法ではなく、否むしろ必要な際には接続法を使うこと。
3. 文章の二番煎じは禁止。
例:E’ minestra riscaldata (直訳:温めた直したスープだ)。すなわち最初の有効性が失われていることを再び持ち出すこと。日本語の「二番煎じ」や「焼き直し」の意味。
4. 自分を成長させるような表現をすること。
5. etc.(イタリア語ではecc.)のような大衆的な略号や略語は使わないこと。
6. かっこ(括弧)を使う場合、それが必要不可欠な場合であっても話の糸筋を中断してしまうということを常に頭に留めておくこと。
7. 「…」の使いすぎで吐き気を催さないように気をつけなさい。
8. “ ”(クォーテーション・マーク)使いは最小限にとどめること。
例:non e’ “fine” (いわゆる「最後」じゃない。)日本語の括弧使いに似ている。
9. 一般化、は絶対にいけない。
10. 外国語は全く良くない。
11. 他の人が言った事を引用するのはなるべくしないように。エマソン(Emerson)は的確に「引用は大嫌いだ。君が知っていることだけ私に言いなさい。」と言った。
12. 何かと、あるいは誰かと比べることは、二番煎じの文章と同じ。
13. 誇張しないように。同じことを二度言わない。繰り返すこと(誇張しようとして読者がすでに分かっていることについて無駄な説明をしようとすること)は余計だ。
14. 頭が鈍い人間だけが下品な言葉を使う。
15. 多少なりとも常に明確でいるようにしなさい。
16. 誇張法は表現法の最も特殊な形である。
17. 一語のみの文章は作らないように。
18. 独創的すぎる隠喩は控えなさい。
例:sono piume sulle scaglie di un serpente(蛇のうろこの上の羽根だ)
19. コンマ(,)は正しい位置に置くように。
20. ピリオド(.)、コンマ(,)、コロン(;)を使い分けなさい。たとえ簡単ではないにせよ。
21. 標準イタリア語のなかで適当な表現が見つからない場合でも、方言の表現に頼らないように。
例:方言peso el tacòn del buso ⇒標準イタリア語peggio della toppa del buco「悪い中でも最悪の解決法」という意味。
22. 「うまい隠喩だ」と君が思ったとしても、つじつまの合わない隠喩は使わないこと。 こうした隠喩はまるで脱線した白鳥のようだ。
23. レトリックな問いは本当に必要なのか?
24. 簡潔でありなさい。注意散漫になりやすい読者を不可避的に当惑させる挿入句で切り刻まれた文、もしくは一つの文が長くならないように、最小限の言葉に君の考えを集約するようにしなさい。これは(不必要あるいは絶対に必要ではない詳細な説明を無駄に詰め込んだ類の)情報汚染、すなわちメディアの影響が支配的な現代の悲劇なのは疑うべくもないが、それに君の話法が寄与しないようにするためである。
25. アクセントは不正確であっても不必要であってもならない。
訳注:ウンベルト・エーコはピノッキオの冒険に書かれた有名な文「Chi non fa non sbaglia」(やらない者は間違いを犯さない)をもじって「Chi lo fà sbaglia」(それをする者は間違いを犯す)と書いている。ここでは下線部の動詞fareの第1人称直説法現在形faにアクセント記号を付けてfàと発音するのは間違いである、という意味。
26. 単数の男性名詞の前につける不定冠詞はアポストロフィをつけて省略しないこと。
27. 大げさにしない!心を込めて慎ましやかにすること!
28. たとえ外国語かぶれが著しい者であっても、外国語から複数形を生み出さない。
訳注:イタリア語の文法ではcomputerなどの外国語の名詞は単数形も複数形も変化しない。例:イタリア語の名詞sedia(椅子)は椅子が一つの場合は単数形sediaであり、二つ以上になると複数形sedieと語尾が変化する。これに対して外来語のcomputerは単数形でも複数形でも語尾変化しない。外国語の影響でイタリア語の文法から逸脱してはいけないということ。
29. 外国の名前は正確に書くこと。
例:Beaudelaire、Roosewelto、Niezscheなど。
30. 君が話題にしている人物や作者は遠回しに言わないで直接名指しすること。19世紀のロンバルディア出身の最も優れた作家、「5maggio」の作者(Alessandro Manzoniアレッサンドロ・マンツォーニ)はそのようにした。
31. 話題の冒頭は読者の好意を得るような態度をとること。(でも、ひょっとして君たちに私が今言っている事が理解できないほど君たちは愚かかな)
32. つづりを正確に書くことに細心の注意を払うこと。
33. 逆言法(言わないと言って実際には言う表現法)はいい加減うんざりだ、と君に言うことは無駄だ。
34. 次の行の最初から頻繁に書き直すことはしない、少なくとも必要ではない場合以外は。
35. 尊厳の複数(国王など高位身分の者が自分を表現する場合、通常は1人称単数形ioを用いるが1人称複数形noiを使う表現法。)は絶対に使わない。最悪の印象を与えかねないということは分かっているね。
36. 結果と原因を混同しないこと。もし混同したら、それは君たちが間違いの渦中にいる、すなわち君たちが失敗したことを意味する。
37. 序論から論理的に導き出されない結論文を組み立てないこと。仮にみんながこのようにしたら、序論が結論から生じることになってしまうだろう。
38. Hapax legomena(ギリシア語で「一度だけ言われた」を意味で、文学作品の中で一度だけ使われた表現を意味する)あるいは今は使われていない他の言語や古語の表現を鷹揚に使わないこと。根本の深層構造は言うまでもないが、たとえ文法学と非建設的な漂流の違いが同じ表現で現れたように君に思われたとしても、テキストを論ずる実践や理論をわきまえていて、尚且つ歴史研究や批評を正確に読む人がつける点数で議論の余地ある結果だとすると状況はさらにひどいが、いずれにせよ読者の理解を超えてしまう。
39. 冗長であってはならないが、言葉が足りなくてもいけない。
40. 必要なことはすべて揃った完全な文章であること。
(訳ここまで)
ウンベルト・エーコの文は大知識人らしく洒脱ですが、残念ながら日本語に訳したときその旨味の大部分が消失してしまいます。訳者の力不足が主な原因ですが、いずれ訳の手直しをしたいと考えていますのでご容赦ください。