コラム

「イタリア事件簿 N.3 コールドケース」

karakimami

イタリアの犯罪と言えばマフィアが真っ先に思い浮かぶと思いますが、ここではいわゆる世間を騒がせたコールドケースについて書かれた記事を紹介しましょう。

「モンテージ事件からチェザローニ事件まで、イタリア版コールドケース」

捜査資料が残されているにもかかわらず未解決の事件がある。 指紋、DNA、不確実な証拠、ずさんな捜査、四方に散在する痕跡、これらは解決に導く糸口ではないが、イタリアの未解決事件の終章を書くための手がかりである。シモネッタ・チェザローニからウィルマ・モンテージにいたるまで、彼らは未だわからない犯人の犠牲者たちの名前だ。

  • セレーナ・モッリコーネ、「アルチェの殺人」と称される事件の犠牲者だが、この事件は現在も捜査中である。セレーナ(18歳、ラツィオ州フロジノーネ県イーゾラ・デル・リーリ出身)の遺体はペルージア県フォンテクーパの小さな森の中で発見された。手足は縛られ、頭はプラスチックの袋で覆われていた。事件経過のカギと目星をつけた証人を巡って謎がある。検事局で事情聴取される数日前に50歳の(憲兵隊の)曹長が自殺したのだ。幾つかの仮説によると、殺害された娘は事件前に麻薬密売を通報するため憲兵隊の兵舎に来た、曹長はその麻薬密売事件に複数の重要な人物の子供も関わっているという事を知ってしまったからだという。セレーナを窒息させたプラスチックの袋は、最近になって再び検査されたということだ。 
  • 有罪判決は出なかったが1975年ナポリで起きた三重殺人事件がある、この事件は「カラヴァッジョの虐殺」という通称で知られている。ある集合住宅の中でドメニコ・サンタンジェロ(54歳)と2番目の妻ジェンマ・チェンナーメ(50歳)、彼の娘アンジェラ・サンタンジェロ(19歳)の遺体が発見された。飼い犬も毛布で窒息死させられていた。重要な手がかりの中に靴の跡とウイスキーの瓶に付いた指紋がある。それらはドメニコ・ザレッリのもので、彼はジェンマの甥で控訴裁判所の所長の子供である。後にカッサツィオーネで無罪になった。証拠のいくつかは後の科学捜査で無効になった。 
  • 政治活動の世界でも未だに塞がらない傷がある。1980年のヴェルバーノ事件と1983年のディ・ネッラ事件だ、重苦しい時代に起きた二つの事件。36年前、目出し帽をかぶり武装した3人の若者が友達と偽り、うその口実を使って極左派のヴァレリオ・ヴェルバーノ(18歳)のローマの自宅に入り込んだ。3人はヴァレリオの両親を寝室で縛ってさるぐつわをかませ、学校から戻ってきたヴァレリオを殴り合いの果てに殺した。殺人者たちは家に目出し帽(1つ)、犬つなぐ紐(1本)、38口径の拳銃(1丁)、複数のサングラスを残して逃げた。
  • 3年後、同じくローマで事件は起きた。フロンテ・デッラ・ジョヴェントゥ(Fronte della Gioventùイタリア社会運動/国民右翼の青年組織)の活動家パオロ・ディ・ネッラが未知の人物から暴力を受け、出血多量で死亡。 
  • エミリア・ロマーニャ州カットーリカ事件、1971年シモネッタ・フェッレーロ(26歳)がミラノのカトリック大学の浴室の中で刺殺された。傷は33か所に及び、捜査陣によると犯人は大学が無人になる時間を狙って犯行に及んだということだ。手がかりはハンカチ(1枚)、雑巾(1枚)、青い服(1枚)。数年後、ある修道士が嫌疑をかけられた。その修道士は大学構内で犠牲者の娘につきまとっていた。だが裏付けとなるものは一切ない。 
  • 最もメディアから注目され論争の的になったのはポーマ通りで起こった事件である。1990年ローマ、8月ひどい暑さの中、事件は発生した。イタリアのユースホステル協会の事務所内でシモネッタ・チェザローニ(20歳)の遺体が衣服を身に付けていない状態で発見された。ペーパーナイフで29か所刺されて殺害されたものと思われる。帰宅しないシモネッタを姉のパオラは心配し、婚約者とともに通報に赴いた。その場にはシモネッタの雇用主サルヴァトーレ・ヴァルポーニと息子も来た。当初は建物の門衛ピエロリーノ・ヴァナコレ(数年前に自殺)が主たる捜査対象だった。2007年、シモネッタの前婚約者ラニエロ・ブスコが、シモネッタの左乳首を噛んだ嫌疑以外にも、被害者の肌着とブラジャーとラニエロのDNA鑑定で明らかになった結果を受けて、故意の殺人容疑で調べられた。一連の訴訟手続きを経て、2014年ブスコはカッサツィオーネで逮捕された。
  • 少し古い事件だが、1955年にラツィオ州カステル・ガンドルフォで起きた家政婦(アントニエッタ・ロンゴ、30歳)殺害事件がある。ぞっとするような未解決殺人事件の一つだ。家政婦の頭部がない遺体はアルバーノ湖の岸で発見された。頭部は現在も未発見である。検視した医師によると、事件の起こる少し前に流産していた。幾つかの推測では、犯人は医師あるいは外科医の可能性がある。
  • 60年以上前になる、かなり昔の未解決事件のなかでアントニエッタ・ロンゴ殺害事件と類似の事件は、ラツィオ州トルヴァイアニカのウィルマ・モンテージ殺害事件がある。(訳注:ウィルマは芸能界にあこがれて、またとても美しかったので幾つかの映画にも端役で出演していたが、事件発生時はポテンツァの刑事と結婚直前だった。海岸で頭部が水に浸かった状態で発見された遺体は半裸で、バック、ガーターベルト、ストッキング、スカートは身に付けていなかった。捜査線上には多くのセレブが浮かび、このためメディアが騒ぎ立てる一大スキャンダルになった。)この場合は多くのセレブが捜査され、メディアを賑わせた事件だった。この事件も先と同様に罪は法廷で裁かれずに終わった。
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