あまりにも長い期間外国の統治下、あるいは外国勢力の傀儡政権の下で暮らしてきたイタリア人にとってようやく訪れた「イタリア」という国家観とイタリア人としての自覚、それは軍隊や政治の問題だけでなく文化と道徳の問題でもありました。
この頃のイタリアにとって欠かすことのできない要素は「ロマン主義」です。ロマン主義は18世紀ドイツでおこった文芸運動でしたが、19世紀にはいってヨーロッパ全体に広がりました。ロマン主義という言葉はそもそも英語の「romantic」から作られた単語で、17世紀中ごろのイギリスで騎士道物語のような文学に見られる現実離れした文学を指す言葉でした。18世紀になると芸術的に表現された事物だけでなく、ロマンを掻き立てる感性をも意味するようになりました。
ロマン主義が標榜する「人間は自由である」という考え方は個人を対象にするだけでなく一つの国にも適用されました-個人が自由を追求するように、国も統一と自由を手にするのである-
そんなロマン主義の旗手は、Lord Byron バイロン卿です。彼はカルボネリア(カルボナーリ党)に共感しギリシアの独立運動で戦死しました。当時彼のような知識人はイタリアやギリシア独立、スペインの植民地だった南アメリカの独立、ポーランドやベルギーの独立のために戦ったのです。
さてイタリアのロマン主義は Givanni Berchet [i]から始まったと言われています。そしてFoscolo[ii] 、 Leopardi[iii] 、Manzoni [iv]の偉人が続きます。彼らは単なる知識人ではなく、イタリア統一・独立に尽力をつくしました。とりわけ Manzoni マンツォーニは自身の作品の中で「(何か問題が起きるとすぐに)外国人勢力に頼ろうとするイタリア人の悪癖」、そして「イタリア国内に招きいれた外国人が思う様に振る舞い」、「外国人に支配されたイタリア人がいかに辛酸を舐め、惨めで貧しいか」を描きました。このようなロマン主義文学の民衆への啓蒙が、リソルジメント(イタリア統一)への道筋を整えたと言えるでしょう。
また一方では経済的な理由もイタリアの世紀の転換を後押ししました。同時代の Karl Marx [v]の理論に重きが置かれるようになっていました。当時ヨーロッパの農業が置かれた状況は年々厳しくなるばかりで、若者は職を求めて大都会に移住しましたが、彼らの生活は目を背けたくなるほど貧しいものでした。そのような中でイギリスの議会は最貧困者を守るための政治や社会の改革が議会で採択されました。このような改革の機運はロシア、フランス、ベルギー、ドイツなどヨーロッパ各地で高まり、こうして各国の社会は近代化に向けて大きく舵を切ったのです。
ヨーロッパ全体が大きく変わろうとしているとき、イタリアだけが前時代に取り残されているようでした。農民は貧しい生活から抜け出せず、富裕層はイタリア統一への道筋が見つけられませんでした。ヨーロッパからやってきたマルクスの産業理論を花開かせる唯一の政体は、サヴォイア家です。サヴォイア家は歴史的にも、地理的にもフランスと密接な関係にありましたが、自由主義の王 Carlo Alberto が統治しました。時を同じくして反動主義者で保守主義者の法王 Gregorio XVI グレゴリウス16世が死去し、新法王 Pio IX ピオ9世は1846年政治犯を解放しました。
一方オーストリアではこのような新しい思想の台頭に警戒を強め、手中のロンバルディア州、ヴェネト州、フリウリ州の支配を強めていきました。1848年初頭に状況は急変します。パレルモでは反乱軍が臨時政府を組織し、 Ferdinando II delle Due Sicilie 両シチリア王フェルディナンド2世は憲法制定を認めざるを得ませんでした。この時制定された憲法はイタリアの憲法の土台になりました。
この年、イタリア国外でも状況は大きく変わりつつありました。2月にパリで、3月にドイツとウィーンでも革命が勃発しました。1848年、ヴェネツィアが反乱が起こり、その前年には第一次イタリア独立戦争が始まりました。
イタリアの独立戦争と反乱軍を指揮した英雄Giuseppe Garibaldi ジュセッペ・ガリバルディの生涯を語る機会はまた後日にしたいと思いますが、いずれにせよイタリアの独立は簡単ではありませんでした。第1次独立戦争(1848年~1849年)、第2時独立戦争(1858年)、第3時独立戦争(1866年)と幾多の戦いと挫折を経験し、ようやくイタリア王国がイタリア半島の大部分を掌握することに成功したのです。この新時代の潮流に抵抗していた教皇庁でしたが、ローマに迫り来るイタリア軍に敗北することはすでに分かっていました。1870年9月20日、ローマを包囲したイタリア軍に法王軍は3時間抵抗した後、ピア門の割れ目からイタリア軍が侵入を許しました。続く10月2日国民投票で正式にイタリア王国に併合され、1871年7月1日イタリア王国の首都はフィレンツェからローマへと変わり、ローマは再びイタリアの首都になりました。
Via XX settembre 9月20日通りはこの事を記念するために名付けられました。しかしこのエピソード、クラウディア先生によるとイタリア人の間でも忘れられつつあるということで、時の無常さを感じさせられます。
[i] Givanni Berchet (1783年~1851年)ミラノ出身の詩人、作家、イタリア文学者。
[ii] Niccolò Ugo Foscolo (1778年~1827年)ギリシアのザキントス島出身。新古典主義と前期ロマン主義の文学者、作家、詩人。
[iii] Giacomo Leopardi 伯爵(1798年~1837年)イタリア人言語学者、文献学者、作家、哲学者、詩人。
[iv] Alessandro Francesco Tommaso Antonio Manzoni (1785年~1873年)ミラノ出身の劇作家、作家、詩人。イタリア王国上院議員。代表作「 I promessi sposi 結婚の約束」は現在でもイタリアの文科系高校では必須教材になっている。
[v] Karl Marxカール・マルクス(1818年~1883年)、プロイセン王国(ドイツ)出身の哲学者、思想家、経済学者、革命家。マルクス主義の創始者。