世界ピッツァ・デー:1月17日

「世界ピッツァ・デー:1月17日」

 

お正月も過ぎてすっかりダラゴロしていましたが…ハッと気づくと117日はピッツアの日。そうなのです、今や世界中で愛されるイタリアを代表する国民食であり、イタリア人の約9割が心から誇りに思っています。一方イタリアを代表する食材といえばワインもありますが、近年ビールにお株を奪われることが多く、こちらは旗色悪く国民の約6割にしか認められていません。同様にカップッチーノも二人に一人が支持しているだけの状態を見ると、イタリアを代表する国民食界におけるピッツアの圧倒的優位性が際立ちますね。

 

さて、ピッツアがユネスコ実系文化遺産に決定したのは2017年のことでした。そして翌年2018117日初めて世界ピッツア・デーとして祝い、以来その習慣が続き、いずれは古来より続く伝統と認識されることでしょう。

 

ではなぜ117日なのか?実はこの日は古来より「聖アントニオ・アバーテの日」と定められています。聖アントニオ・アバーテあるいは“偉大な聖アントニオ”、“エジプトの聖アントニオ”、“炎の聖アントニオ”などと呼ばれたましたがここではシンプルにラテン語で聖アントニウスと呼ばせていただきます。さて、聖アントニオは西暦251112日エジプトのComa(英語Quiman al-Arus)で生まれ、356117日テバイデの砂漠で亡くなりました。享年105歳と当時としては驚異の長寿者でしたが、彼の功績はそこではありません。聖アントニウスはエジプトの隠者で、同時に修道院長でもありました。実はアバーテというイタリア語はアッバツィア(農園や教会に付属する修道院)やモナステロ(修道女や修道士が共同生活をする修道院)の上に立つ人(魂の宗教的指導者)を意味します。そう、聖アントニウスは修道院主義の創始者なのです。したがって彼が最初の修道士でありました。聖アントニウスの生涯は、魂の盟友アレクサンドリアのアタナシオス(4世紀のアレクサンドリア司教でありキリスト教神学者、ギリシア教父、大アナタシオスとも言う。コプト教会、カトリック、正教会では聖人として崇拝されている)が記した「聖人伝」(357年刊行)や「アントニウスの生涯」で良く知られています。ちなみに聖アタナシウスの生まれははっきりせず、生年は293年から295年のどこかで、没年は373年と明確に分かっています。享年80歳ぐらいですから彼も当時としてはかなり長寿ですね。

 

一見関係なさそうに思える聖アントニウスとピッツア、記念日が同日なのは偶然ではありません。実は聖アントニウスはパン職人とピッツァ職人の守護聖人なのです。聖アントニウスの日は北部では夜に大きなかがり火を焚いて一日が終わります。一方ナポリではピッツァ職人一家は半日働きました。実際1925年まで午後になると一家総出で外出しカポディモンテのレストランでみんな一緒に祝うという習慣がありました。また、かがり火というのは春の訪れと再生のシンボルで、この日はピッツェリアでは特別なピッツァ、サンタントゥオノを提供していました。このような経緯で世界ピッツァ・デーは聖アントニウスの日以外考えられない!となったのでした。

 

ここで冷遇されつつあるワインにも登場してもらって、Informacibo.itが提案するピッツァとワインの組み合わせを紹介しましょう。

  • ① ピッツア・マルゲリータにはパッソ・ディ・カプリオリ・トスカーナ・ロッソIGT ディ・ポッジョ・イル・カステッラーレ
  • ② ピッツァ・プロシュット・コット・エ・フンギ(ハムときのこのピッツァ)にはツヴァイゲルト・ディ・カンティーナ・ヴァッレ・イザルコ
  • ③ ピッツァ・ゴルゴンゾーラ・エ・サラーメ(ゴルゴンゾーラとサラミのピッツァ)にはブリュット・レゼルヴ・ディ・ポル・ロジェ
  • ④ ピッツァ・カプリッチョーザにはキュヴェ・セクレテ・ウンブリア・ビアンコIGT ディ・アルナルド・カプライ
  • ⑤ ピッツァ・ヴェジェタリアーナ(野菜のピッツア)にはバッティフェッロ・モレッリーノ・ディ・スカンサーノDOCG ・ディ・グリレッジーノ

 

こう書いているとピッツアが食べたくなりますね。ピザを食す皆様に心から

Buon Appetito!

(*日本では「いただきます」と訳されるが、本来は食事を前にした人にかける祝辞である。直訳は「(あなたに)良い食事を!」である)

 

では

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