前回のコラムで予告した通り、今回はボーン・コレクターならぬボーン・コレクションと呼ばれる未解決事件を取り上げたいと思います。
① 発見
2007年7月23日酷暑の日の午後3時半、2001年に建てられた低い壁近くに生えていた茂みに火が付いた。すぐ通報を受けた消防隊が駆け付けて消火した。消防隊が帰ろうとしたとき、一人の消防士が袋を見つけた。袋の中には鍵一束、財布、さらに少し先に靴と服も見つかった。彼が袋を取ろうとしたとき凍り付いた、人間の骨も見つけたからだ。完璧に並べられた骨格だったが、頭部だけは数メートル移動したところにあった。おそらく消火の際にかけられた水で押しやられてしまったのだろう。当初はこの付近にたむろする麻薬中毒者の一人だと思われたが、財布から身分証の切れ端が見つかった。身分証にはリベロ・リッチ、84歳?(行方不明時の年齢と計算が合わない、訳者注)とあった。男は4年前から行方不明で、カギは男の家の表玄関のものだった。事件は解決したかに思われた…
② リベロ・リッチ
2003年10月31日、ローマのマリアナ地区。 77歳の老人が日課の散歩に家を出た時間は、朝10時ごろだった。茶色の丸首のセーターと黒いズボン、ベージュの靴を身に付けていた。彼の名前はリベロ・リッチ、再び散歩から戻ることはなかった。 リッチは1926年生まれ、1943年収容所から逃げ、ヴァチカンの仕事を数多く請負っていた会社で職人になった。教皇の歯科医や外科医にいたるまで知り合いで、彼らから幾度も仕事を任された。2003年に行方不明になり、2007円7月23日に家の近くで身の回りの品々と共に骨が発見されるまでの4年間、彼に関する情報は全くなかった。発見後すぐに家族は発見された靴や服に見覚えがないと申し立てていた。
③ 不気味な遺物
2010年2月。ローマの法医学研究所とナポリ大学のカゼルタにある環境科学部門のチルチェ研究所が見つかった骨(炎で損なわれた骨も含まれていた)に関して最新科学で調査に乗り出した。結果は驚くべきものだった。骨格はリベロ・リッチではないことがDNA検査で明らかになった。また不気味なことに5人分(女性3人、男性2人)の人間の骨を使って一体の骨格が構成されていることが判明した。さらに材料に使われた人たちは1986年~2006年間にそれぞれ異なった時期に行方不明になったと思われる。
④ 疑問点
発見された骨格は完全に構成され、骨は正確な位置に置かれていた。誰かが戯れに5人の骨を使って組み立てたのか?でもどうやって骨を手に入れたのか? 骨格を置いた人間が藪に火を放ったのはほぼ間違いない、おぞましい混合物を発見させるためだったのだろう。なぜ骨のそばに袋やリベロ・リッチの鍵を置いたのか?またリベロ・リッチの体はどこにあるのか?
⑤ 衝撃の展開
2010年2月8日、Rai3(イタリアのメジャーテレビ局)の番組”Chi l’ha visto?”でDNA鑑定から判明したあらゆる情報やこれまでの推移を放送した。犠牲者たちの身元が判明することを願ってのことだった。事実、その後数日で複数の家族から問い合わせがあり、身元を特定するためにDNA鑑定を依頼した。エマヌエラ・オルランディの母親からも電話があったそうだ。ヴァチカンで長年働いてきたリベロ・リッチと関係があるかに思われたが違った。ミトコンドリアDNA鑑定から頭蓋骨と脊柱は女性で、リベロ・リッチの母方と血縁関係があると思われる。この女は誰なのか?骨格を組み立てたのは血縁者なのか?
⑥ 謎
骨格に話を戻そう。誰が骨を手に入れて、どのように置いたのか?墓から盗んだか、あるいは誰かを殺して手に入れたのか?現場検証を行った法医学士のチポッローニは墓泥棒の仮説は幾つかの理由からあり得ないと言う。発見された骨、特に胴体部分(脊椎と肋骨)は秩序だっていた、正しい位置に骨を配置するために長時間要しただろう。また骨にあった傷は動物にかじられた跡で、完全に白骨化していなかったと推測できる。骨は1986年~2006年に死んだ人のもので、通常の方法で埋葬した場合白骨化するには時期が早すぎる。
(訳ここまで)
この未解決事件はヴァチカンの依頼によって再び捜査されることになりました。何か新しい発見があるかもしれません。
ところで前回お伝えした人骨発見事件で、当初騒がれていた十代の女の子の骨ではないことが判明しました。骨はもっとずっと古く50年以上前のものだという事です。こちらの捜査も続いている様で、何かびっくりするような事件が背後にあるのかもしれません。