以前にもこのコラムで書いたようにイタリアでは移住が流行しています。2015年は10万7千人が外国へ移住しました。前年比6,232人増で、この傾向は特に18歳~34歳の若年層に顕著(3万9410人)です。マッタレッラ大統領は、イタリア人の移民現象は貧困化の徴であり、このような若年層がイタリアに戻ることができるようにしなければいけない、と言っています。ちなみに2016年1月の段階で国外居住のイタリア人の数は481万1163人です。
そう、移住の動機は先のコラムで書いた時と同じ、経済的な理由が大半を占めています。現在でもまだ残念ながら逆転ホームランはまだ出ていないので、イタリア社会はちょっとした経済数値の動向にも一喜一憂している状態です。
Corriere Della Sera紙にイタリア人がドイツを目指す理由が箇条書きにされていました。昔から続くイタリア人の願望や問題点が垣間見えてなかなか興味深いです。
「ドイツへの移住が止まらないイタリア人 ~この現象の理由10か条~」
失業率がイタリアより低いなどのような、幾つかのマクロ経済的な原因がある。だが熟練労働者が不足しているといった、あまりはっきりしない説明もある。さて、ドイツ人のもとで働く私たちイタリア人の同胞たちがなぜ増えたのか、またなぜ彼らがノスタルジーに苦しむと言われないか、ここに理由がある。
① イタリアに比べて失業率は半分
「ええ、私の息子はドイツで働いています」過去数十年間でこのフレーズを頻繁に耳にする。少し寂しく少し誇らしげな母親たちは、想像上の、しかも見知らぬ国の上に地図に小さな旗をたてる。その国は少しいかつく威圧的だが力強い工業とチャンスに恵まれる。これはフォルクスワーゲンがイタリアの各街に職人を募集するセンターを開いた時のことだ。いまは違う、でもそれほど変わっていない。今や息子だけが彼の地に発つのではない、娘もだ。しかも募集センターは今や必要ない、インターネットとミュンヘンやハンブルク、シュツットガルト、デュッセルドルフまでの格安航空便がある。
そして常にドイツは人を引き付ける。
理由?
様々だ、もちろんね。まず第1に、失業率は大体6%ぐらい、イタリアの失業率の半分より少し上っていうところ。ドイツの労働市場や会社で働きたいのは、これが一番の理由だ。
議論の余地はない。
② 熟練労働者にとって大きなチャンス
ドイツでは多くの分野で高技能(資格や能力)をもった労働者が構造的に不足している。工学から薬学まで。イタリア人の若者は一般に修練を積んでいる。もし仕事ができればまじめに働く。これは名誉なことだ。
③ ドイツは安定をくれる
経済的な安定のこと。少なくとも理論的にはある種の安定を手に入れられるとは考えられない道を我慢して乗り越えるような障害や困難がある国に誰も移住しない。安定についてドイツは盲目的に崇拝されている。他人より景気変動に左右されずに仕事ができる人のための国はどこか、それはドイツだ。
④ 労働条件が良い
労働条件は、工場であっても良い。契約は重視され、解雇は深刻な経済危機の場合だけで、しかも社会保障は充実している。給料増額は並外れたものではないが、経済危機の場合は除いて規則的に行われる。組合員は強い力を持っている。
⑤ 非常に大きなイタリア人コミュニティ。今となってはとても大事なこと。
言葉は難しい。だがイタリア人コミュニティは非常に大きく、コミュニティの先駆者たちはミニ・イタリア社会を作り上げた。レストランだけではない。現地に根付いたイタリア文化、故国に再び出会う場所だ。ドイツ人は今日ではイタリア人を尊重する、ある種の差別と疎外の年月は過ぎ去った。
⑥ 創造性(たとえ問題解決にあたる場合でも)
イタリア人の若者の創造性は評価され求められている。多くの分野ではない、デザインやモード、料理といった分野のみ。問題に取り組んで解決する能力は、たとえ予期しなかった経済危機の最中でも、とてもよく組織されているがしばしば硬直的な国では有効だ。イタリアとドイツは補完関係にある。
⑦ うわさ
ドイツで暮らしているイタリア人は同国人に電話する。何年も前からハノーファーやデュースブルクにいる移民が今暮らしている国に文句を言うことはあり得ない。非能率的で無能、しばしば不公平といったイタリアとの差を人は話す。人の口から口へ走る引力だ。
⑧ 近づきやすい勉強
ドイツで勉強すること=もっと通うようになる。通常大学は科学から哲学まで、工学から化学まで最高だ。公共の援助と学費のおかげで誰にでも入りやすい。ドイツで勉強した人はしばしばその後もドイツに留まる。
⑨ サッカーに熱狂(ドイツ人も)
サッカーはイタリアと同じくらいドイツでも重要なこと。ブンデスリーガはちょっと煩わしい。いつもバイエルンが勝つから。だが見方を変えるとセリアAも同じ途上にある。
⑩ …しかも、家に近い
つまり、ドイツは魅力的だが一人のイタリア人にとって重すぎることもある。
近いって素敵。家への逃亡は、週末だけでも、いつでもできる。」
訳ここまで
イタリア人が望郷の念に苦しまない、というのは最後の理由で十分納得ですね。