コラム

「2016年イタリア中部大地震 ~1か月後~」

karakimami

2016年8月24日、イタリア中部を大地震が襲いました。なかでも瞬間マグニチュード6,0±0,3に見舞われたのはアマトリチャーナ市、アックムリ市、アルクアータ・デル・トロント市を含むトロント渓谷でした。

実はこの地域は過去にも大地震が起きています。約4世紀前の地震と同じという声もあります。

1639年10月7日当時ナポリ国の一部であったトロント渓谷の高地アマトリーチェを襲った地震についてWikiによると:

(ローマの貴族オルシーニ家(3人の教皇を輩出した中世~ルネッサンス時代の大貴族)の人たちは地震で破壊された街を放棄しなければならなかった。揺れは15分間続き、40万~100万スクード(当時の金貨)を含む損害と500人の死者(多くの死体はまだ瓦礫の下にある)を出した。

続く10月14日に強い余震があった。 多くの住人が田園地帯に逃げ、そこにテントを張った。一方他の人たちはサン・ドメニコ教会に逃げ場を求めた。全壊、あるいは深刻な損害を負った建物のなかにオルシーニ家(オルシーニの者たちは揺れの瞬間は街の外にいた)の館も含まれていた。また政庁舎やクロチフィッソの教会などがあった。揺れが収まるように祈願する行列とロザリオが準備された。この地震により人々はローマやアスコリ・ピチェーノに移住することを余儀なくされた。

地震の被害は1639年カルロ・ティベリによって刊行された報告書に詳細に記述され、それは同年の第2版で更新され再び公開された。  

                                 訳ここまで

数日前、イタリアのマスコミは大震災の1か月後で現地取材をし、その模様はTVや新聞で報道されました。

Ansa通信から:

毎朝ヴィニチョ・ビッツォーニは水浸しになった瓦礫の山を横切ってアマトリーチェのサニュッティ広場にある窓枠を作っていた作業場を開ける。でも今は窓枠を設置する建物はない。

「正直に言うと先のことが分からないんだ。何もかも変わった。人々の関係や感情、仕事も。とても難しいよ、でも信じている。仕事を続けたいんだ、もしそうしなかったらどうやって食べていくんだ?」

北の方へ30キロいったところで、グリスチャーノ、ジャンピエロ、キアーラはようやく定食屋ヴェッキア・ルオータを再開した。店のなかには朝5時から立ちっぱなしの作業員たちの疲れた顔がある。震災前からいる人たちの顔とボランティアの人たちの顔:サラリア街道を走るトラック運転手たちだ。

プリモ・ピアット(パスタ、リゾット、スープ)と付け合わせで10€、プリモ・ピアットとセコンド・ピアット(肉、魚)で13€。「前からこの値段だった、これからも変えない。再出発する、でもコンテナをもらえなければまた店を閉じることになるかもしれない」   

                                  訳ここまで

報道によると瓦礫の撤去作業にはどの地域もまだ手が付けられていません。また避難キャンプは今月末までには撤去する予定だとしています。その後被災者はホテルやセカンドハウスに移るということですが、被災者の不安は強くもう戻れないのではないかといった先の見通しが立たないことに疲れ切っています。トロントのペスカーラも同様に沈んでいます。

現在瓦礫の撤去に関して各自治体の進捗状況は、アマトリーチェとアックムリは処分地(使われていない採石場カルペッローネとヴァッリチェッレ)を決定しましたが(運営する法人は未決定)、マルケ州とウンブリア州は選定段階にとどまっています。全体として復旧に向けて官僚主義的な鈍さを指摘する声も多くありました。

確かにつらいでしょう、でもインタビューを受けた多くの人々が復興に向けてこの地に踏みとどまって頑張る、と答えていた姿に4世紀前の大地震を乗り越えた答えがあるようでした。

今回も乗り越えられる Viva Italia!

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