コラム

アメリカの名付け親 -Amerigo Vespucci アメリゴ・ヴェスプッチ

karakimami

-アメリカ大陸の発見-

このニュースはヨーロッパ人にとって千載一遇のチャンスと一攫千金の富をもたらす喜ばしいものでした。これによって冒険家のスポンサーであったスペインやポルトガルは一気に富む一方、南米や北米に先祖代々居住する人々にとっては現代まで続く苦難と滅亡への扉が開かれたことを意味しました。

新大陸の発見者は Cristforo Colombo (日本ではクリストファー・コロンブスという名称が定着していますが、イタリア語ではクリストフォロ・コロンボと呼びます。ちなみにクリストファーという呼び方はクリストフォロの英語版で、コロンブスはコロンボのラテン語版です。日本では英語の名称で広まりました。)で、かれの出自についてはジェノヴァという説が一般的ですが、スペイン生まれのスペイン人だったという説もあります。いずれにせよ史的資料が大変乏しく確固たる証拠がありません。 生まれはともかく、コロンブスは確かに新大陸を発見しました。ただしインドと勘違いしていましたけれど…

新大陸の存在を初めて確信した人は(少なくともその考えを初めて公に表明した人は)アメリゴ・ヴェスプッチでした。 Amerigo Vespucci アメリゴ・ヴェスプッチは1454年3月18日フィレンツェ共和国に生まれました。コロンブスは1451年生まれなのでヴェスプッチは3歳若かったことになります。コロンブスと同じく彼の職業も「商人、航海者、冒険家」で、1499年スペインが出資して現在のブラジルまでの船旅に初めて参加しました。この航海以前にも船旅をしていることはあったかもしれませんが、歴史的にはっきり確認が取れる最初の航海はこのときです。2番目の船旅は1501年、ポルトガルの植民地が企画したもので、前回同様に南米に向かう航路でした。

当時ヴェスプッチには航海の知識はなく、フィレンツェ出身でセビリアに移民した一介の商人でしたので、航海の当初は単なるオブザーバーだったようです。 コロンブスが発見した大陸がヨーロッパ人にとって全く未知の大陸なのか、それともアジアの端なのか知ることが旅の目的でした。あいにくヴェスプッチのアジアに関する知識はマルコ・ポーロが書いた東方見聞録などから得た知識で、いわゆる伝聞でしかなかったので謎めいた大陸がどこに属するのか判断するのは容易なことではありません。しかしヴェスプッチは熱心に観察し、旅路の帰路にフィレンツェの友人に手紙を書きました:

「単なる"島"ではない、とても大きい大陸だ。アジアとは全く関係がない。植物や動物、先住民も全く違う。彼らの習慣や衣装も我々が知っている世界とは異なっている。」

この手紙が彼を史上最高の「棚からぼた餅」男にしたのです!

確かにコロンブスは新大陸を発見しましたが、初めてその大陸をヨーロッパ中に宣伝したのはヴェスプッチだったからです。こうしてヨーロッパ人は「新世界」もしくは「(アフリカ、アジア、ヨーロッパに続いて)4番目の大地」を見つけたのでした。そこはミステリアスで冒険に満ちた世界!わくわくするほど魅力的なヴェスプッチの手紙が刊行されると、その内容はたちまちヨーロッパ中に広まりました。

1507年、ドイツ人地図製作者 Martin Waldseemüller マルティーン・ヴァルトゼーミュラーとMatthias Ringmann マティアス・リングマンは新しい平面天球図のなかに現在のブラジルの海岸周辺に小アンチル諸島とメキシコの一部を描き込みました。今ではそれほど大したことのないように思われますが、ブラジル一体(南米)がこのようにアジアから切り離されて描かれるのはこれが初めてのことだったのです!

さて、新大陸にどんな名前をつけたらいい?二人はヴェスプッチの書簡集を読み、ラテン語の筆者名"Americus" (イタリア語 Amerigo アメリゴのラテン語)を見ました。

ところで大陸の名前は全て女性形の名称だということをご存知ですか?

アフリカ は Terra di Afri (アフリ人の地)という意味で、一説ではカルタゴ近郊のアフリカ北部に居住していた民族と関係があるといわれています。Afri は一般的にフェニキア語の afar (塵を意味)に由来しますが、最近ではベルベル人の言葉 ifran (洞窟の意味)に関係があるともいわれています。いずれにせよローマ時代のラテン語 africa terra (アフリカ人の地の意味、「-ca」は形容詞化接尾辞女性形)という名称から現在のアフリカが形成されました。現在イタリア語でも Africa は女性形の名詞です。

ヨーロッパはギリシア神話の Eiropa エウロパに由来します。エウロパは現在のレバノンのティルス(フェニキア人が建設したギリシアの植民地)の王アゲノールの娘でした。美しいエウロパに恋をしたゼウスは彼女を誘拐しようと見事な白い雄牛に姿を変え、海岸付近で花を摘んでいたエウロパに近づきました。エウロパは雄牛が近づいてくるのを見て驚きましたが、雄牛がおとなしく足元に横たわると安心してやさしく撫でました。エウロパが雄牛の背中に乗ったとみるや、雄牛は海に飛び込みエウロパをクレタ島まで連れて行き、神の姿に戻って彼女を愛し3人の子供 Minosse ミノス、Saepedonte サルペドン、Radamanto ラダマンテュスをもうけました。ミノスはクレタ島の王になりクレタ人に文明をもたらし、それはすなわちヨーロッパの揺籃の地となりました。かくしてエウロパは地中海腹部に位置する大地の名称となりました。Europa は現在のイタリア語でも女性形名詞です。

アジアはヨーロッパ側が付けた名称なので、この地域に住む人々には全く関係ありません。紀元前440年ごろヘロドトスがペルシア戦争のなかで初めて用いたギリシア語 Ἀσία がアジアの語源です。Ἀσία はアナトリアを意味しペルシア帝国以外のギリシアやエジプトと区別するために使われています。古典古代ではアジアはインドを意味しました。アレクサンダー大王がインドに到達したとき東洋の先端にたどり着いたと信じていたからです。 時代ごとに少しづつ意味するところを変えながら古代イタリアでアジアの名称は急速に広まり、ローマ人にとって身近な名詞になりました。

古代から中世までの地図には境界がはっきりしない大きな大陸をアジア大陸と書かれています。 また一説にはアッカド語の(w) aṣû(m) で「出る」あるいは「昇る」を意味し、太陽の日の出に関係しているといわれています。同じアッカド語の erēbu(m) は「入る」あるいは「太陽が沈む」でこれがヨーロッパの語源になったともいいます。 諸説ありますが、現在のイタリア語で Asia は女性形の名詞です。

これでもうお分かりですね。

世界の大陸の名前は全て女性形である・・・ということで二人は Americus を America という女性形で地図に書きました。そしてこれが現在に至るまで一般に定着した名称になりました。

自分で発見してもいないのに大陸の名付け親になれるなんて・・・コロンブスの魂に平安あれ!

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