Accademia Italiana

本格的に学びたい方のためのイタリア語教室。アカデミア イタリアーナ

RUBRICA イタリアに関する情報とコラムをお知らせします。 時々イタリアでないことも。

唐木 麻美 )

「アメリカに渡ったイタリア人移民 ②」

 意外に知られていないアメリカに行ったイタリア系移民の苦難の歴史…結構びっくりして、すぐ納得する人が多いのはイタリア人の一般的な印象がゴッドファーザーに重なりすぎるのかもしれませんね。なにはともあれゴッドファーザーは良い映画です。 さて、前回の続きです。

『リンチ、侮蔑、暴力を経て、どのようにイタリア人はアメリカで白人になったのか』②

《クリストファー・コロンブス(イタリア語ではクリストフォロ・コロンボ)の役割》

 僅か数か月後1891年3月13日、判決はアメリカ国民から怒号をもって迎えられたが、第2回公判で被告全員の無罪が確定した(被告3人については評決を取ることができなかった)。事態の推移に焦点を当てると、Harrisonは外国からの市民を群衆の暴力から保護するためにアメリカ議会に提訴した(ここでいう外国系市民は黒人ではない)。義憤をなだめる目的だった、それ以降イタリア人は他の白人種同様敬意をもって扱われるようになった。1892年アメリカ大陸の発見者クリストファー・コロンブスの像がNYのセントラルパークの正面入り口に建てられ、1937年ルーズベルト大統領の時にコロンブス・デーは合衆国の祝日になった。128年の時を経て、イタリア系市長LaToya Cantrellのおかげでニューオーリンズの市政はアメリカのイタリア人社会に公式に謝罪した。(中略)「コロンブスが“最初の移民”と書いて歴史を書き換えた、コロンブスは北アメリカに足を踏み入れなかったし、スペインに移住したことを除けば移民として暮らしたことは一度もなかったけれど。」コロンブスが伝説を作ったことでイタリア系アメリカ人がアメリカの建国に貢献したことになり、コロンブスが大陸を“発見”した時すでにネイティブ・アメリカンが暮らしていたという現代でも耳にするパターナリズムの考え方に結び付いた。上院議員Henry Cabot Lodgeが主張するように、イタリア系移民に関して広く信じられていた事は「移民に対して壁を一層高くするよう判断するためにはイタリア移民だけで十分だった。イタリア人は法的に他の白人と同じ権利を持つとはいえ、1920年議会は人種を理由にイタリア系移民に制限を設けた。」

《イタリア人へのリンチ》

 南アメリカの新聞ではアフリカ系アメリカ人の犯罪(性犯罪の偽証拠で裁かれることが頻繁にあった)を報じる時、事件と関係ないリンチの被害者を“野獣”“悪魔”“誘拐犯”“生まれつきの犯罪者”などとレッテル張りして文脈にいれた。いずれにせよ新聞は群衆による暴力と“ほとんど共犯関係”にあった。タイムズは“A Brutal Negro Lynched”という見出しで繰り返し、リンチの被害者があたかも“生来の犯罪者”であるかのように印象付けた。

《ルイジアナとの“ラブストーリー”》

 Staplesの付記はイタリア移民が他の犯罪の被害者になったと書いている、例えば南北戦争後ルイジアナにイタリア移民が低賃金労働を求めて辿り着いたときの記録がある。新参者はイタリア人地区で生活しようとした、イタリア人地区では母国語(あるいは方言)を話し、伝統を守り、強い絆を結び、時にはアフリカ系アメリカ人と結婚した。アフリカ系との距離感の近さはイタリアの同国人の間でシチリア人は“完全な白人ではないから、通常はアフリカ系アメリカ人にやるリンチも含めた迫害を許容する”考えを推し進めることになった。

《生まれながらの殺し屋》  

 NYTに掲載された記事で、例えば1874年の記録に登場するイタリア移民を“デブでアブルッツォの伝統的ブリガンティーン(2本マストの帆船)に似ている”と書き、最終的にイタリア人は“生来の犯罪者で殺し屋”と見なされるようになった、と結論付けている。このようなレッテル張りは1882年の出版業界で次第に強まる中傷にまで至り、それは“私たちの未来の市民”というタイトルをつけられた記事に書かれた「ニューヨーク市始まって以来、これほどレベルが低く無知な層があったことはなく、昨年年がら年中我々のベンチを占領する南イタリア人のような移民連中が押し寄せたことはなかった」さらに「公立小学校でイタリア人移民の子供はアメリカ人の子供と並ぶと全く協調性がなく汚い」と続く。人種差別の神話によるとアフリカ系アメリカ人とシチリア人は両方とも生来の犯罪者で、1887年のタイムズにも当時“Dago Joe”(dagoはイタリア移民、スペイン移民、ポルトガル移民を直接的に誹謗する言葉で今でも使われている)という綽名がつけられた男のリンチ事件が載っている「その男はシチリア人の父とムラートの母を持つ雑種で、両種の最悪な性質を受け継いでいた… 狡賢く、不実で、残忍だった。男が生きていた社会では生来の殺し屋と思われていた。」

                              (訳ここまで)  

 イタリア人といってもシチリア人が特に差別されたわけで、何というか、同じ欧州からの移民でも壮絶な差別の時代があったのですね。このような時代背景を踏まえてアメリカの犯罪映画やドラマを見るとある種の感慨を覚えます。イタリア人の立場からすると同じ白人種なのに不当な差別を受けた酷い時代だったでしょう、でも有色人種からすると白人からの差別はもっと酷く、そして形を変えて現在まで続いているのですけれどね。

↑ ページトップへ