コラム

「教皇ベネディクトゥス14世」

karakimami

 今回は10日間のGW真っ只中にコラムを更新するということで、肩の力を抜いて翻訳しました。テーマは教皇ベネディクトゥス14世(1675年~1758年、教皇在位期間1740年~1758年)です。彼が生きた時代のイタリアは、輝かしいルネッサンスも終わりイタリア各地の小国はフランスやスペインの後ろ盾なしには成立しないほど弱体化していました。唯一独立を守ったヴェネツィア共和国も貿易業は振わず、観光業で命脈を保つ有様でした。芸術家の多くがパトロンを求めてオーストリアなど国外に活路を見出す中で、ヴァチカンは変わらず文芸や学問の保護者だったのでした。この時代のイタリアの事はあまり知られていないので今回はあえてルネッサンス精神を引き継いだ教皇を取り上げてみたいと思います。

『スラングの聖化を提案した皮肉屋の教皇、ベネディクトゥス14世』

 科学や芸術の保護者であったと同時にユダヤ人に対する厳しい措置もとったベネディクトゥス14世には不遜で皮肉な人間性を反映した数々の逸話がある。ボローニャ方言を交えたベネディクトゥス14世の話し言葉には数多くのスラング(イタリア語でpaloracciaパロラッチャ)が含まれていた。部下の枢機卿からの無数の苦情に応じて、ベネディクトゥス14世はある日スラングを聖別することを率直に提案した。 歴史は突飛な行動で忘れられない人たちであふれている。そういう人物の一人がプロスペロ・ロレンツォ・ランベルティーニで、65歳の時にベネディクトゥス14世の名で教皇になった。彼は歴代の教皇の中で最も議論の的になる人物の一人であり、啓蒙精神から大勢の人々から高く評価され、またユダヤ人社会に対しては不寛容であったために多くの人々から憎まれた。とはいえ彼の人間性で一番に興味深い点は別にある:ベネディクトゥス14世はスラングを使う事を愛していたのだ。  

 ベネディクトゥス14世=パロラッチャーロ(スラング使い)の教皇  比較的短い教皇時代(18年間)に“スラング使いの教皇”として残されてる逸話集から、ベネディクトゥス14世はボローニャの俗語コレクターで、生命力あふれる無節制な俗語を公式な場でも控えることはなかった。教皇の選出された翌日サンピエトロ大聖堂で民衆を前に姿を現したとき、広場にいる大勢の民衆に巨額して彼に付き従っている枢機卿の一人に訊いた「なんてすごい数だ、どうしたらこんなに大勢が一か所にいられるのか?」枢機卿の返答「各自が順番に並べば…」の後を引き取って、かなりざっくばらんに「そうだな、それで全員の後ろに並ぶのは私達だ!」と言った。  社会からはみ出した彼のユーモアのセンスは大勢から愛され、アルフレッド・テストーニの喜劇の有名な人物像のインスピレーションの源になったほどだった(劇のタイトルはズバリ“ランベルティーニ枢機卿”だった)。ベネディクトゥス14世は聖職者に相応しくない言動で一度ならず顰蹙を買った:特にスラングをこよなく愛し、スラングを言う事を禁止するためにお付きの者に彼がスラングを言う度に彼を叱責するように頼む有様だった。  朝の謁見で、ローマの夜の乱痴気騒ぎを語る話に教皇は大声でスラングを言って驚きを露にすることを止められなかった。お付きの者が残した数多くの逸話に、ボッカパドゥーリ枢機卿とのやりとりがある:ベネディクトゥス14世「やったな、ボッカパドゥーリ!この言葉を聖別するぞ!日に少なくとも10回これを言った者に完全な贖宥を与えるんだ!」    ベネディクトゥス14世の保護下にあったのはスラングだけではない、芸術や科学も…  「ローマとの論争は敵対ではなく議論だ、愛すべき機知に富んだ教皇が口をつぐむ面前で、不信仰は残念ながら世代間で密かに進んでいる」 歴史記述から教皇の厳しく保守的な面が明らかになったにもかかわらず、死後も多くの人から敬意と愛情を込めて話された。無神論者のホレス・ウォルポール(イギリスの貴族、政治家、小説家)でさえもベネディクトゥス14世に捧げた情熱的な題辞を書いている。  

 ベネディクトゥス14世は特に芸術と科学の発展に重要な役割を果たした:サン・ピエトロ大聖堂やサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、トラステヴェレの聖アガタ教会、幾多の修復を完成させ、サンタンジェロ城に関する数多くの修復を完成させた。文化の熱烈な推進者であったベネディクトゥス14世は図書館を建て、既存の図書館を充実させる支援を行った。ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン(ドイツ人美術史家)と共に現存するローマ教皇庁考古学アカデミーを設立し様々な大学を改革し、カピトリーニ美術館のような多くの美術館の収蔵品を充実させた。  彼の治下、イタリア人(フェルディナンド・フーガ、ジョバンニ・パンニーニ、ピエトロ・ブラッチなど)以上に大勢の外国人芸術家(ピエール・シュブレイラスやフランドル地方のPeter Anton von Verschaffelなど)が活躍し、彼らは個人的にサン・ピエトロ内にベネディクトゥス14世の記念碑を建てた。それだけではない、科学はベネディクトゥス14世の統治下で事本的な役割を与えられた。ある女性(マリア・ガエターナ・アニェージ)に数学の教鞭をとる事を許したのは他でもない彼であった。また彼の指揮の下、ボローニャにイタリアで最初の産科が設けられたのである。

                           (訳ここまで)

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