2017年、ナポリに突如出現した45歳の新郎と12歳の少女花嫁というカップルに人々は当惑し、嫌悪を覚える人が続出しました。実はこれ、児童婚根絶キャンペーンの一環として演出されたものだったのですが、知らずに見た人たちはかなりショックを受けていました。こうした児童婚は南イタリアで近年までありました、現在でも闇社会で子供が様々な搾取の対象になることが問題になっているので、単純に過去の事と一蹴できない面がありますが。
今回はそんな闇から抜け出した女性のインタビューで、彼女は日本では考えられないほどの勇気をもって悲惨な境遇を脱したのだと思われます。このような女性たちが非合法な社会から足を洗うのは並大抵の努力ではなく、マフィアのボスの娘は優秀な成績で大学を卒業しても自分の出自を悲観して自殺した事件もあるほどです。
『ナポリ出身の13歳の少女が結婚、
「母は私を厄介払いするために鬼畜に私を与えた」と少女の言葉』
1969年1月5日、13歳のイルデは3倍も年上の男に嫁がされた。このとき少女は男にレイプされて妊娠していた。これはナポリの田舎で1970年代に起きた、たった13歳で神に祝福された少女花嫁イルデの信じがたい物語の始まりに過ぎない。「あの男は怖かった、彼を最初に見たとき漏らしてしまったほど」だとかつての少女花嫁は言う。「私の母は正気を失っていたけれど、いったいどうして神父であるノーラ司教(少年裁判所の裁判官)がこの呪われた結婚を許したの?」(中略)イルデ・テッラチャーノは1969年1月5日ナポリ近郊オッタヴィアーノで結婚させられた。3倍も年長の新郎ピエトロはナポレターノで複数の娼館を 経営していると噂されていた。結婚当時イルデはレイプの結果妊娠していた。
「私の母は未亡人で、男たちと付き合っていたからから私を厄介払いしたかったの。」と熟年になったイルデは本紙記者に語った、「それで私と婚約したいと言ってきた30歳の男が現れたとき、母は承諾した。男に5万リラ(現在のレートで換算すると約627万円)渡して、私を連れて行かせた。当時私は12歳だった。」
イルデは漫画と人形の世界から30歳の婚約者のもとへ行った。男はアル中で暴力をふるった。「最初に男に会ったとき漏らしてしまった。彼に触れられてゾッとしたけれど、彼は婚約者だから彼の好きなようにさせなければならないと母は繰り返し言った。ある時点で、彼は婚約を“味わう”ことを強く求めたけれど、私は処女だったから私を娼館に連れて行って“(セックスを)習う”ためにじっくり見させれらた。」ピエトロは目的を果たすまでイルデを殴って虐待した。「ついに母のベットで私をレイプすることに成功して、私は妊娠し、普通の結婚式みたいに準備し始めた。」「売春斡旋罪で彼が逮捕されたとき、子供を連れて逃げるように懇願したけれど、彼女は通報されることを恐れてできず、精神病院に収容された。」
ここから少女にとって長く続く間違いが始まった。「非合法なことも含めて生きのびるためにあらゆることをやり、再び私を搾取する男たちに会ってしまった。そしてある日私は捕まり、それは私にとっての解放だった。」拘置所で“セックスすること”を私に教えなければいけなかった娼婦と再会したことを覚えている。「私を覚えている?」と彼女に言い、「私はあの有名な少女なの…」自己紹介して娼婦をボコボコに殴った。拘置所を出てから何とか地に足がついた生活できるようになった。イルデには3人の子供がいて、人生を台無しにしたあの結婚を無効にすることができて、これまでの人生を本にした。題名は「素足で逃げて」、他の女性に暴力は打ち砕くことができると伝えられるように。子供を抱えて逃げなさい、と我が身を振り返りながら彼女は他の女たちに言う-卑しい仕事をしてもあなたたちは自由だと。私はできた、あなたたちもできる」。
(訳ここまで)