コラム

『40年の逃亡を経てついに元テロリストはイタリアに送還された』

karakimami

2019年最初のコラムになります。今年もよろしくお願いします。

さて、今回は昨年ツィートで流したニュースの続報です。1カ月前、ブラジルでイタリア人元テロリストの逃亡犯チェーザレ・バッティスティをあと一歩のところで逃したニュースがイタリアを賑わしました。誰が警察の動きを知らせたのか、バッティスティは大急ぎで家を後にしたようで、顧問弁護士も全く連絡が取れないと声明を出す事態に至りました。

チェーザレ・バッティスティとはイタリアでテロが吹き荒れた、いわゆる「鉛の時代」に活躍した元テロリストです。バッティスティはProletari Armati per il Comunismo(共産主義のための武装労働者、通称Pac)のメンバーでした。1981年、第1級武装強盗の罪(その後4件の殺人罪など諸々の罪で終身刑になっていた)で12年の刑に服していたフロシノーネの刑務所から脱獄し、イタリア国外で政治難民と認められ、その後は小説家として有名になりました。かねてよりイタリアでは元テロリストの引き渡しが強く望まれていましたし、昨年の悔しい一件の後なので今回の逮捕・本国送還に各紙の報道は興奮に沸き立った状況でした。例えばAnsa通信では…

『Cesare Battistiチェーザレ・バッティスティボリビアで逮捕。 かつてのテロリストがローマに送還へ。』

“プレゼント”が届いた。逃亡してから1カ月、ボリビアのサンタ・クルツ・デ・ラ・シエラでチェーザレ・バッティスティが土曜日に逮捕された。逮捕と逃亡を繰り返し、40年ぶりにPac(Proletari Armati per il Comunismoの略)の元テロリストがイタリアに戻る。「イタリアの刑務所は彼を待ち構えている」とはジョセッペ・コンテ首相の言。一方マッテオ・サルヴィーニ内務大臣は狂喜して「ごちそうは終わった」「塀の中で残りの日々を過ごすのが相応しい」と述べた。

Pacの“紅はこべ”(イタリア語でla primula rossa、イタリア国内では1900年代初めに出版された。なかなか捕まらない人を比喩する場合に使われる。)はインターポールが公開したビデオで判断する限り逮捕されるとは全く思っていなかったようだ。サングラスをかけて髭をたくわえた姿で街の通りを静かに歩いている。逃亡生活中、インターポールのイタリア、ブラジル、ボリビア合同チームが彼の痕跡を追っているとは想像すらせずソーシャルメディアを直接使っていた。

何年も手詰まり状態だったが、ジャイール・ボルソナーロ(ブラジル下院議員)の希望により急展開することになった。ボルソナーロは選挙戦でもイタリアに“プレゼント”を送ることを約束し、選挙勝利後すぐに実行に移したというわけだ。とはいえ逆説的に自身のブラジル大統領を外部に切り捨てたのだが。

一カ月前、連邦最高裁判所が出したバッティスティ逮捕許可の決定を得て、次の日、2018年末に任期が切れる当時の大統領ミシェル・テメルが許可書に待望のサインをしたが、逃亡犯は国外で捕まり、その後直接イタリアに送還することを発表した。実際にこの事がボルソナーロがサルヴィーニと勝利に酔いしれたツィートを交わす妨げにはならなかった「利は常に我々の側にある」。副首相の感謝のツィートがこれに答えた。

事実ブラジルは領地からバッティスティ逮捕からイタリアへの送還に至る道筋を喜んで引き受けたと思われる。とはいえリスクはあまりも高すぎた。 他国ではどのような権限も有していないブラジル国内の弁護士たちが新しい上告について研究し、それまでの手続きを再び阻止する危険があった。それだけではない、ブラジルには終身刑はなく、イタリアは2017年に逃亡犯引き渡しと引き換えにバッティスティに終身刑が課されないように保証することを約束した。だがサンタ・クルツから直接イタリアに到着することで事情は変わる。「ボリビアから追放され終身刑に服することになるでしょう」と法務大臣ボナフェーデは説明した。その間サルヴィーニは手錠をかけられたバッティスティの写真に「彼の人生の最後まで」(手錠をかけられていること)を願うツィートを続けた。

特に過去に男の逃亡を助けたと疑われたことがあるボリビアが、逃亡犯をイタリア政府が差し向けた飛行機Falcon(警察と海外諜報機関であるAiseのエージェントたちが搭乗)が待っているサンタ・クルツのビルビル国際空港にわざわざ送り届けたのである。1981年に脱獄して以来イタリアの地を踏んでいないバッティスティの逃亡生活はフランス(作家として有名になった国)を皮切りに、メキシコ、ブラジルと続いた。

「国外に逃げた他の逃亡犯にも同様な結末が待っているよう」に願いつつ「バッティスティは重罪を犯した罪を償わなければならない」とマッタレッラ大統領が述べた。

他の国外逃亡犯は少なくない。Pacの他の元テロリストたちの逮捕への道筋について北部同盟は議会で「確定判決を受けて逃亡した50人以上のテロリストの身柄引き渡しを強く催促するための」動議を提出した。

4件の殺人事件の被害者の家族は大喜びだ。「ついにやった、良い事だと思う」とアルベルト・トッレジャーニは言った。彼の父は1979年にPacが引き起こした銃撃戦で殺された宝石商で、彼自身も負傷し足を動かすことができなくなった。トッレジャーニはサルヴィーニにも会った。アドリアーノ・サッバディンの父リーノも1979年2月16日サンタ・マリア・ディ・サーラ(ヴェネツィア)でバッティスティに殺された。「40年間待ち続けてついに満足した瞬間だ。彼を許すことはない」と言った。マウリツィオ・カンパーニャも満足した。彼の兄弟アンドレアは1979年4月19日ミラノで殺された刑事だった。

現在誰がバッティスティの脱獄及びボリビアまでの逃亡に手を貸したのか捜査が進められている。

                                                                                            (訳ここまで)

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