ちょっとぎりですが、今日はハロウィンということでVampiro della Bergamasca ベルガマスカの吸血鬼と呼ばれた男について見てみましょう。
彼はイタリアで記録に残る最初のシリアル・キラーで、歴史上に切り裂きジャックより早く登場しました。犯罪学の父とも呼ばれた精神科医チェーザレ・ロンブローゾ(1835-1909)の研究対象になった殺人者です。
『ベルガマスカの吸血鬼ことVincenzo Verzeniヴィンチェンツォ・ヴェルゼーニは1849年ベルガモ近郊の小さな村ボッタヌーコに生まれた。20歳のときのヴィンチェンツォは身長166cm、物静かでおとなしくとても孤独なたくましい青年だった。彼の父はアル中で暴力を振るい、母は癲癇持ちで夫の言いなりで信心に凝り固まった人だった。家庭内の空気は寂しく惨めで、度重なる殴打にヴィンチェンツォは不健康な妄想を膨らませていったという。
1867年、従妹のマリアンナが就寝中に喉を噛んで血を飲もうとした。マリアンナは飛び上がり逃げた。この時ヴィンチェンツォは叫んでいた。
2年後の1869年2件の暴行事件を起こす。1件目の被害者バルバラ・ブラーヴィは襲われて逃げた、この時もまたヴィンチェンツォは叫んでいた。バルバラは彼の顔をよく見たにもかかわらず犯人はヴィンチェンツォだと断定できなかった。一方2件目の被害者マルゲリータ・エスポジトには犯人がヴィンチェンツォだと分かった。
同年、アンジェラ・プレヴィターリは人気のない場所に気絶させられて連れていかれたが、ヴィンチェンツォは可哀そうに思ったのか彼女は襲われずに無事に戻ってきた。
1870年12月8日、確認できる最初の被害者14歳のジョヴァンナ・モッタが行方不明になった。ジョヴァンナはスイージオ村の両親のところに向かっているところをヴィンチェンツォに襲われ行方不明に。4日後おぞましく切断された遺体が見つかる。遺体は裸で4つに切断され、生殖器は体から取り出され桑の幹から発見された。喉には噛まれた跡がはっきりと残り、ふくらはぎの一部はもぎ取られていた。遺体近くの石の上に放射状に置かれたピンが見つかった。この発見からヴィンチェンツォにpiquerism(犠牲者の肌にナイフなど尖った物を差し込み性的快感を得る、類似の犯罪者に切り裂きジャックなどがいる)傾向があったと考えられるそうだが確証はない。
1871年8月26日、マリナ・プレヴィターリが押し倒される喉に噛みつかれそうになる。
翌日2人目の犠牲者エリザベッタ・パニョチェッリの遺体が見つかる。やはり遺体は4つに切断され、喉にははっきりと噛み跡があり、そこからIl Vampiro吸血鬼と呼ばれるようになった。
事件当初、疑いはルイジ・コメリオに向けられた。彼は8月29日に逮捕されたが、犯行時に家にいたことが確認されたため釈放された。
1973年、ヴィンチェンツォは1973年に逮捕され、精神科医のチェーザレ・ロンブローゾのもとで精神鑑定を受けることになった。多くのテストを行った後、ロンブローゾはヴィンチェンツォは「性的サディスト、人間の肉を食べ、血を吸う」と結論付けた。ロンブローゾはヴィンチェンツォが犯した殺人は精神病が原因だったかどうか断定できなかったが、ヴィンチェンツォの家系に幾つかの精神疾患があったことは分かっている。アル中で暴力を振るう父親は、ヒポコンデリーだった。叔父は脳充血を患っていた。
ヴィンチェンツォは公判中「俺はあの女たちを本当に殺した。他の女も絞め殺そうと思った。そうしている間はすごく(快感を)感じるから。腿にあったひっかき傷は爪じゃなくて歯でやったんだ。絞め殺した後、女を噛んで滴り落ちる血を啜った。すげえ旨かった。」と述べた。
結局2件の殺人で起訴されたヴィンチェンツォは陪審員の評決のおかげで死刑を免れ、終身強制労働付き精神病院に送られることになった。
1874年ミラノの司法精神病院に移送されて数多くの拷問にかけられた。ヴィンチェンツォは独房に入れられ、ホースから冷水をかけられ、熱湯風呂に入れられて電流を流された。
1874年7月23日精神病院の用務員が独房でヴィンチェンツォが死んでいるのを発見した。遺体が身に付けていたのは靴下と室内履きのみ、格子に首を吊っていた。
だが2010年にこの事件を扱った番組を手掛けたTVプロデューサーのミルコ・コッコとミケーレ・ピンナによると、ヴィンチェンツォは自殺を試みたものの助かってチヴィタヴェッキアの刑務所に移送された。1902年の記事(Eco di Bergamo紙)によればヴィンチェンツォは30年間服役後、1918年12月31日生まれ故郷で死んだという。』
以上は複数の記事から事件を簡潔にまとめたものですがいかがでしたか?
ヴィンチェンツォの事件もおぞましいですが、当時の精神病院の治療(拷問?)も怖いですね。かれの死体はミイラ処置を施されて、公開されています(Museo di Arte Criminologica di Roberto Paparella犯罪学者&収集家ロベルト・パパレッラ犯罪技術博物館、https://artecriminologica.wordpress.com/)