Accademia Italiana

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唐木 麻美 )

「カラビニエーリ(憲兵隊)創立200周年①」

 ローマを旅すると旧市街でカラビニエーリ(憲兵隊)が随所に立っている風景を見ることでしょう。制服姿のカラビニエーリは若い女の子に大変受けが良いですが、その歴史は古く、1814年イタリア王国の王ヴィットリオ・エマヌエレ1世によって創立されました。

先日2014年6月5日、Carabinieri カラビニエーリ(憲兵隊)創立200年周年記念式典がトリノのチェルナイア兵舎で行われました。実はカラビニエーリの歴史はイタリア近代史とも関係があります。ここではカラビニエーリが創設された経緯を見てみましょう。

ナポレオンが失脚し、サヴォイア家のヴィットリオ・エマヌエレ1世がピエモンテに復帰、カラビニエーリを創設しました。カラビニエーリはナポレオンが用いたジャンダムルリ(騎兵隊)に発案を得て作った部隊です。ナポレオンは欧州を文字通り10年以上にわたって混乱に陥れ、1814年4月3日にフランスでナポレオン王国が倒れたことがはっきりするやいなや、ヴィットリオ・エマヌエレ1世は王政復古(サルデニア王国)の流れと共にようやくピエモンテに帰ることができました。

ヴィットリオ・エマヌエレ1世の領地はサヴォイア公国、アオスタ、モンテフェッラート、ニース、オネリア、アレッサンドリア、ヴォゲーラ、トルトーナ、ヴィジェヴァーノ、ヴァル・セシア、ヴァル・ドッソラ、ロメッリーナ一帯、つまりピエモンテ州一帯の北イタリアが中心の領土でした。

当時イタリアの政治状況は王政復古勢力とオーストリア勢力に二分されていました。オーストリア王国の強力な拠点となったのはロンバルド‐ヴェネト王国(1815年創立された王国、領土は現在のロンバルディア州とヴェネト州辺り)で、ここからより小さな王国ににらみを効かせていたというわけです。モデナ公国、パルマ公国、トスカーナ大公国(これら3公国とハプスブルグ家は縁戚関係にあった)などです。

そして保守主義が主流を占めていたカトリック教皇国とフェルディナンド1世が憲法を廃止したばかりの両シチリア王国(イタリア半島南部、シチリア)。 これらの国の政治はイタリア解放や革命の流れに反し、オーストリアとの密接な関係を支持する保守主義が優勢でした。

こうしたなか反主流派の活動は政治にとどまらず、時には秘密結社を結成しました。

ピエモンテもオーストリアの影響下にあり、一方で王政復古を支持する政治状況、また他方では侵略者のフランス軍の軍事力に支えられていた前政権との確執がありました。

このような場合の常として、社会は著しく不安定になり、フランスのジャンダムルリ(騎兵隊)の助けを借りてかろうじて治安を維持していました。

ジャンダムルリの起源は中世で、フランスの王が戦争地域の戦闘や攻囲の後で軍による乱暴や強奪などの行き過ぎた行動を取り締まる目的で司法権を元帥に委任したのが始まりです。これを受け元帥は marèchaussèe (元帥の備忘録)を規定しました。 軍法&警察機能の骨格は複数の裁判長が組織しました。

軍に限定された権限は、地方に守備隊を駐留させることと、それにともなって常設軍が創設されたため平和時にも継続することになりました。

1536年フランス・ヴァロワ朝のフランソワ1世の決断で、山賊行為(道の権利と称された)の取り締まりという民間警察の任務がこれに加わりました。こうして民間警察任務と軍務、この二つの任務が一つの組織に同居することになり、この組織形態はフランス革命を経て現在でもフランス警察に受け継がれています。

ヴィットリオ・エマヌエレ1世はジェノヴァに上陸後、フランス革命の憎むべき過去の痕跡を大急ぎで一掃する一方でジャンダムルリに代わる組織を作ることが急務になりました。 フランス革命の名残は消し去りたい、では政権維持のために必要な前組織(ジャンダムルリ)をどのように継続させるか?

一ヶ月にわたって宮廷は頭を悩ませましたが、結局「実質は同じでも名前を変える」方法で解決することになりました。 1814年6月、戦争省(現・国防省)が「治安維持のための軍創設案」を作成し、ピネローロの長官がそれを了承、同年6月16日、2回目の「 Carabinieri reali (王国憲兵隊)を組織するための暫定的教育案」の審議が終了しました。

この案では王国憲兵隊が担うことになる数多くの任務が想定されています 「毎日カラビニエーリが二人ずつ任務に就く、各騎兵隊が主要道路(十字路、村道、市街地および村落の道路、各部隊が管轄する場所の道路など)をパトロールすること。(中略)カラビニエーリは市民の要請に応えてあらゆる種類の犯罪者を逮捕する、たとえ確証がなくても同様に逮捕できる。 カラビニエーリは押し込み強盗、犯罪集団による犯罪、火事、殺人、政府の郵便物、資金、軍需品の強奪、誘拐、スパイ行為、密輸、穀物や食料の買占め、贋造も捜査する。」

この案では通称「良き政府」という一種の内務省のような組織を作り、その組織が警察を指揮し、また同様にこの組織に属すカラビニエーリは自由に行動できる軍隊という位置づけを想定していました。 こうした変遷を経てカラビニエーリが公式に始動した時、27人の将校と776人の下士官と複数の軍隊で構成されていました。

ジャンダムルリという母体から発足したとはいえ、当時から現代まで、カラビニエーリの第一の目的は戦時においては国土防衛であり、平時においては治安を保持することです。そのためイタリア全土に組織的に配置されています。

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