コラム

18世紀の伊達男、 Giacomo CASANOVA ジャコモ・カサノヴァ

karakimami

冬の寒さが春風に駆逐されるころ、1789年4月2日ジャコモ・カサノヴァはヴェネツィアに生を受けました。今ではカサノヴァの名前は女たらしの代名詞ですが、良い意味でも悪い意味でも1700年代に生きた単なる女たらし以上の存在でした。古い時代の寵児といっても良いでしょう。

“Amavo, ero amato, (昔も今までもずっと愛していた)

stavo bene, (悪くない生活だった)

avevo molto denaro, (大金を手にし)

e lo spendevo, (さっさと使う)

ero felice, e me lo dicevo, (幸せだ、そう自分に言っていた)

ridendo degli sciocchi moralisti.” (道徳家の間抜け面を笑いながら)

                                                                                                 Giacomo CASANOVA

カサノヴァは、一介の役者の子供でした。しかし人生を貴族階級のなかで貴族として過ごし、人並み外れた才能で莫大な富を築き、それを瞬く間に浪費しました。なぜならカサノヴァは良く分かっていたのですー富を作る資源は一つしかない、それは自分自身である、と。

誰もが彼の比類なき才能を認めていました。 カサノヴァは素晴らしい教育を受けて、エレガントな洋服で着飾り、ある種の優美なスタイルを持っていました。日本的に言うと「一流の教養を身につけた稀代の伊達男」みたいな感じでしょうか。彼は自分の魅力をフル活用して人間関係を賢く築いていきました。

カサノヴァの幸運は急病で倒れたあるヴェネツィア貴族を救ったことから始まります。命を救われた貴族は死ぬまで彼に感謝し、彼の保護者でした。その後ヴェネツィアのスパイとして各地を旅し、多くの偉大な知識人や芸術家(ヴォルテールやモーツァルト、ロシアのエカテリーナ2世など)と親交を持ちました。

そして1756年、フランス政府の株式仲介人になりました。才知に富むカサノヴァはフランスで蓄財し、シルクの縫製工場を立ち上げますが、あっという間に女と博打で富は胡散霧消しました。

もっとも、カサノヴァという人は企業家ではなく、彼のライフスタイルは「Carpe diem カルペ・ディエム」(ラテン語、前一世紀の古代ローマの詩人ホラティウスの詩に登場する)、即ち「一日の花を摘め」などと訳されるように「今の瞬間を楽しむ」主義で、「明日のことは明日考える」性格だったようです。

実は「 lotteria 宝くじ」の創案者とはいえなくても、カサノヴァが現在の宝くじシステムを考えていたのは確かなようです。具体的には国家の財政を支える柱の一つとしてロットの賭け事(1から90までの数字の中から二つの数字、3つの数字、4つの数字、5つの数字の組み合わせを当てる賭け事。現在のイタリアでは毎土曜日イタリア国内の10都市で回転式抽選機を使って抽選する)を活用するという案でした。

話は変わりますが、カサノヴァ vs. ドン・ジョバンニ、色男の代名詞としてよく引き合いに出される2大色男、でもこの二人には大きな違いがあります。カサノヴァは実際に生存した人物ですが、ドン・ジョバンニは想像の人物です。またドン・ジョバンニにとって女性を征服すること=個人的な野心を満足させることでした。一方カサノヴァは誘惑する全ての女性に恋してしまったのです。「恋こそこの世でもっとも素晴らしい」こんな哲学を実践したカサノヴァは、胸が高まるほど魅力的な歓楽の都ヴェネツィアでしか生まれなかった人物なのかもしれません。

1766年、ポーランドの大貴族 Franciszek Branicki 伯爵にピストルでの決闘を申し込みをしたときから彼の人生は一転したようです。決闘の動機はもちろん、女性。 Branicki 伯爵は幸いにも怪我だけで済み、カサノヴァは国を出るように勧告されました。以来このスキャンダルはヨーロッパのあらゆる宮廷に広まり、常にカサノヴァにつきまといました。最初カサノヴァは新取の気性に富んだ魅力的な紳士と好意的に見られていたのに、今では危険で短気な男と見なされるようになりました。

このような幾多の運命の転変を経て、カサノヴァは現在のチェコ共和国の Duchcov ドゥフツォフの城に身を寄せます。 Joseph Karl von Waldstein の宮廷は軽薄で魅力的とは言いがたく、また彼ももはや女性を追い掛け回すにはあまりにも年を取りすぎていました。

城の図書館の年寄りの司書、城に常在する寄食者たちとは交わらない孤独な老人…それがかつての偉大な色男の成れの果てでした。孤独の中でカサノヴァは自伝を書くことに情熱を注ぎ、ついに1822年「 L’Historie de ma vie (我が生涯の物語)」が刊行され、数年後の1798年6月4日永眠しました。

現在カサノヴァの回顧録は文学的に価値があるだけでなく、18世紀の風俗や衣装、習慣などを知る上で貴重な資料と考えられています。

カサノヴァは女たらしの側面ばかりが人々の記憶に残ってしまった、ちょっと残念な人物です。今では当時の貴族世界の雰囲気を想像することすら困難ですが、カサノヴァはアンシャン・レジームの申し子だったのかもしれません。

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