コラム

イタリア共和国が生まれた日

karakimami

ナポレターノ大統領の英断により、緊縮財政のちょっとしょぼいパレードになりましたが、6月2日と3日のイタリア共和国生誕祭はつつがなく終わりました。ツィートでも一部お伝えしましたが、先月 Istat (イタリアの国勢調査)から発表された5月の調査結果によると、イタリアがどん底経済状態記録を現在も更新中であることがはっきりと分かります。Istat が示す家計赤ランプ指標は4項目、

① 銀行預金が800€以下

② 2日に一度、必要な栄養を含む食事がとれない

③ 夏のバカンスがない(通常イタリアでは夏には約4週間の休暇をとります)

④ 光熱費が払えない

この4つの項目を満たす人々を最貧困層と位置づけました。驚くことにこの層が昨年と比べて6,9%から14,3%と、僅か一年で2倍以上に増加したことです。その反面女性の失業率は減少したもの、若者の失業率は依然高く、彼らの不満はコメディアンのペッペ・グリッロが主催する政治団体M5S (Movimento 5 stelle 、「五つ星運動」と紙上では訳されています。) に集約されています。M5S がイタリアの政治を今後どのように変えるのかまだはっきり分かりませんが、イタリア社会に渦巻くフラストレーションの表出であることは容易に見て取れます。

混沌とした政治状況に老獪なエロジジイ、ベルルスコーニが M5S を密かに取り込んで影でほくそ笑んでいるとも言われますがイタリアはいったいどうなるのでしょうか?

さて、現在のイタリアの苦境はさておき、イタリア共和国が誕生したころのお話をしたいと思います。

イタリア共和国は1946年、第2次世界大戦が終わった後、国家形態を決めるために行われた国民投票によって誕生しました。同年6月12日から13日の夜、イタリア政府は政治家 Alcide De Gasperi アルチーデ・デ・ガスペリを国家の暫定大統領に任命し、これによりイタリア王国最後の王、サヴォイア家のウンベルト2世は6月13日国外追放になり、1861年から続いたサヴォイア家が統治するイタリア王国は終焉しました。

1946年6月28日の制憲議会で暫定元首に Enrico De Nicola エンリコ・デ・ニコーラを第一回の投票で選出し、イタリア共和国憲法が1947年12月27日に公布され、1948年1月1日施行されるのと同時にデ・ニコーラは初代大統領に就任しました。

このようにイタリアの国家形態を決定する重要な国民投票が今から67年前に行われたのですが、ファシズムという惨禍があった後でさえ

共和制支持 12、718、019票

君主制支持 10、709、423票

と君主制を支持する人達も意外と多かったのです。

ところで、2011年の6月2日の共和国生誕祭はイタリア半島統一150周年ということで4400万€(約57億5千5百万円)かけて盛大に執り行われました。

実はイタリア半島はフランスなど中央集権国家が早く成立したヨーロッパの多くの国と違って、近代までヴェネツィアのような都市国家やトスカーナ大公国のような小さな国に分かれていました。

輝かしいリナッシメント(ルネッサンス)時代は去り、イタリア半島はフランスやスペインといった中央集権国家の属国のような経済的には弱体化した小国に分かれていました。その後ナポレオン惨禍が半島を覆います。イタリアが凋落した時代の中で、唯一独立を護っていたヴェネツィアもナポレオンの前に潰えました。ナポレオンは半島を侵略し、中北部をイタリア共和国として統一し(ナポレオンが大統領)、南部はナポリ王国として妹婿を王に据えました。この頃からイタリアで民族運動が各地に広がり、革命の嵐が半島を覆います。しかしナポレオンの没後イタリアはウィーン会議においてオーストリアやフランスなど各国の属国のように分割されてしまいました。そのような苦境にありながらもイタリア統一運動は少しづつサルデニア王国の下に集結し、何度も蜂起しては失敗しましたが、状況は徐々に好転します。そしてついに1859年の春から1860年の春にかけて事態は急展開し、七つの小国に分断されていたイタリアは、統一運動の英雄ジョセッペ・ガリバルディが幾多の戦いで獲得した土地をサルデニア王ヴィットリオ・エマヌエレ2世に捧げ、ここに漸く各国の干渉を撥ね退けることができました。

1861年上院と下院は以下のことに同意しました。

「我々は下記を承認し公布する

第一条:ヴィットリオ・エマヌエレ2世と彼の後継者たちがイタリア王に就任する。国璽を以ってこれを国家の正式の証書と定め、各関係諸氏に通達する。1861年3月17日トリノより。」

上記は今でもサルデニア王国の法第4671条で閲覧することができます。

まさにこれこそイタリア王国が誕生したことを公式に宣言したものでした。

イタリア王国時代、ムッソリーニという忌まわしい時代を経て1946年イタリア人は共和国を選択しました。イタリア人にとって共和国を選択したことは重要ですが、それにも増して重要なことはイタリア半島統一を成し遂げたことです。今でも英雄ガリバルディの名前は各都市の広場や通りの名に残されています。

 

 

 

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