Accademia Italiana

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唐木 麻美 )

「バレンタイン・デーの本当の姿」

 イタリア中部の田舎町テルニ(ウンブリア州)の聖ヴァレンティーノ聖堂は聖バレンタインの体が安置されているので、それを目当てに(願掛けのため?)訪れる観光客がかなり多いところです。テルニは工業都市なので観光資源は少ないのですが、恋の願掛けのために訪れるのです。

さて、今回は数日遅れのバレンタイン・デーの話です。自分へのご褒美チョコや、友チョコ、友達と交換チョコ、義理チョコ(これはいらないですね、まったく)日本には今やたくさんの種類のバレンタイン・デー・チョコの分類があります。いろいろな意見があると思いますが、この時期に店頭に並ぶ多種多様なチョコレートは見ているだけでも美味しそうで個人的にはスィーツがたくさん並んでいる様を眺めるのは結構楽しいです。

今回のテーマは聖バレンタインの頭蓋骨でローマにあるという事です。映像は「teschio valentine roma」などの言葉で検索をかけるとたくさん表示されます。興味のある人はどうぞ。

それでは記事(fanpage.it)を見てみましょう。

『聖ヴァレンティーノ(聖バレンタイン):ローマに保存されている頭蓋骨と恋人たちの祝日の起源。』

 聖ヴァレンティーノ(聖バレンタイン)は恋人たちの守護聖人として全世界に知られている。紀元後273年2月14日は彼が死んだ日で、この日に世界中のカップルが永遠の愛を再び誓い合う。とはいえこの行事の起源は何か?歴史と伝承が混じりあう。証拠はローマのある聖堂(Basilica di Santa Maria in Cosmedin)に保存されている頭蓋骨だ。 2月14日は恋人たちに捧げられた日だ。他の祝日同様、この日も守護聖人に守れらている、そう聖バレンタインのことだ。彼は紀元後2~3世紀に生きた司教であり殉教者でもある。

バレンタイン・デーという魅力的な祝祭の起源の半分は初期キリスト教の慣例にあり、残りの半分は古代ローマ人が2月14日に行っていた異教の豊饒の儀式にある。そしてまさにそのローマがバレンタイン・デーに関係する最も重要な証拠を保存しているのである。もちろんハートも花もチョコレートもないが、その頭蓋骨は伝承によると若い(あまり若くないこともある…)恋人たちの守護聖人のものという事だ。

 ローマにある聖バレンタインの頭蓋骨、でも本物なの?

 聖バレンタインに関する本当の歴史と伝説が混じりあっている場所はローマのサンタ・マリア・イン・コスメディン教会(日本では聖堂ではなく教会と称される)で、事実ここで1700年代に発見された1300年代の地下の祭室の内部からキリスト教界で最も重要な聖遺物の一つが発見されている。それは赤いバラの花で飾られて小さなガラスの聖遺物箱に保存された頭蓋骨だった。一般的にはその頭蓋骨は聖バレンタインのもので、実際彼の体は出身地であるテルニに保存されていると言われている。 毎年2月14日になると聖遺物(頭蓋骨)は信徒に展示され崇拝されているが、非常に大きな誤解が中世に遡る大変古い慣例から派生したことが問題なのだ。

真実は、頭蓋骨の持ち主は別のバレンタインで、考古学的に“聖人の体”とはっきり定められている。16世紀末ごろまでには大変多くの初期キリスト教のカタコンベが発掘され、こうした皆が集まる信仰の場所にローマ人によって虐殺された無数のキリスト教徒たちの死体が保存されたと考えられる。長い年月の間に、死体は抜き取られヨーロッパ中に運ばれ正真正銘の聖遺物として崇拝された、もっとも専門的には聖遺物ではない全くないのだが。これと似たようなことが、差し当たって毎年2月14日に崇拝されているバレンタインの身にも起こったのかもしれない。 

どうしてバレンタインは恋人たちの守護聖人なの?

 バレンタイン・デーに関係する色々な細かいところは良く分かっていない、例えばなぜ2月14日がバレンタイン・デーに選ばれたのか?など不明な点は多い。確かにバレンタイン司教は273年の2月14日に虐殺されたが、2月14日が選ばれた理由は他にあるかもしれない。すでに2月15日は古代ローマではとても特別な別の行事ルペルカーリア祭が祝われていた。ルペルカーリア祭はルペルコ神に捧げられた古代の豊饒の儀式である。羽目を外して練り歩くことと自由奔放な愛がこの祭りの特徴で、キリスト教徒の道徳から大きく逸脱していた。迫害期の末期、ある教皇がルペルカーリア祭の前日に祝日を移動させて貞節、純粋、永遠な愛に捧げた“道徳的に”許容範囲内の祭りと定めた。そしてバレンタインは彼の勇気(伝説によるとバレンタイン司教はローマの法律によってキリスト教が禁止されていた時代にあってキリスト教徒のカップルを公認した数少ない人々の一人だった)ゆえに普遍的なシンボルになった。

                              (訳ここまで)

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