Accademia Italiana

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唐木 麻美 )

「ヴァチカンに消えた少女」

 かなり前になりますが、ヴァチカン市国に入った若い女は行方不明になり、中で性的奉仕をさせられている…という噂を聞いたことがあります。また都市伝説の類ね、と当時は全く気にかけていなかったのですが、今年の夏に教皇座付属事務所の改修中の店舗の地下室から数人分の人骨が見つかったのです。そのうち1体が女性だということは骨盤の形状から分かりました。Fanpage紙の記事では以下のように報じられています。

「ヴァチカンで見つかった遺骨、最初の検査で女性のものと判明 専門家は骨盤の検査から女性の体の一部と結論を出した。イタリアの教皇座付属事務所で見つかった人骨に関する最初の調査ではMirella Gregoriミレッラ・グレゴーリとEmanuela Orlandiエマヌエラ・オルランディ(2人とも1983年にローマで行方不明になっている)のものである可能性がある。骨盤はイタリアの教皇大使の所在地に隣接した店で見つかった人骨の一部と見られる。骨が見つかったのは10月30日、ポー通りにある建物を改修中だった。今のところ確かなことは分からないが、このぞっとする発見によってミレッラ・グレゴーリとエマヌエラ・オルランディ事件が再び日の目を見ることになった。1983年の夏ローマで行方不明になった当時、2人とも15歳だった。27番地の店で見つかった人骨が2人の少女の1人だとしたら事件は再捜査される可能性がある。だが差し当たってこれは可能性に過ぎない…」

                               (訳ここまで)

ここからはミレッラ・グレゴーリ事件を見てみましょう。レプッブリカ紙によると、

「ミレッラ・グレゴーリはローマのヴォルトゥルノ通りにあるバールの所有者の娘で、エマヌエラ・オルランディが行方不明になる1カ月前に姿を消した。ローマの自宅を午後3時に出て姿を消したミレッラ・グレゴーリは15歳で事件発生は1983年5月7日、エマヌエラ・オルランディ行方不明になる1カ月前のことだった。たとえ2つの事件を結びつける証拠が何もなくても、この2件には関連性があると常に位置付けられてきた。

ミレッラは兄弟の中で最も年下で専門学校に入学していた。全く問題はなかった。行方不明になった日、学校から帰宅してほどなくサンドロという人物(ミレッラは彼を知らないようだった)からインターフォンに電話があった。1時間後、母親にポルタ・ピアで学校のクラスメイトと約束があるからと言って外出したが、後にその男の子はポルタ・ピアには行った事がないことが確認された。

母親によると、ミレッラは行方が分からなくなる前から教皇庁近衛兵の男と付き合っていたようで、2年後にサン・ジョセッペ教区を教皇が訪問した際にラウル・ボナレッリでその男を見た。」

                               (訳ここまで)

行方が分からない2人の間に直接的な接点はないということですが、事件は繋がっていると捜査関係者は事件発生当初から見ていました。この件についてヴァチカンはローマ検察庁に捜査を委ねたという事です。

さて、人骨繋がりでもう1件ヴァチカン絡みの事件も再捜査されることになりました。イル・テンポ紙によるとこの事件は

「“骨収集家”事件が再び日の目に。マリアーナで11年前に見つかった1体の骸骨は5人の人骨で作られていた…(中略)未解決で、身元も分かっていない。ヴァチカン内部とは関係ない。ヴァチカンとの唯一の接点は不可解な状況で行方不明になった一人の男で、彼は一生をヴァチカンで職人として働いた。彼は高位聖職者全員を知っていた。もちろん、単なる偶然だ。他方では1983年から1995年に明らかになったローマの大ミステリー全てで高位聖職者とわき役が交差する、それは何を意味するのか...」

                               (訳ここまで)

骨収集家事件について長くなるので詳細は次回のコラムで!

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