コラム

「50年間エスプレッソを作り続けた男、あるバリスタの述懐」

karakimami

先日Il Messagero紙に載った記事を今日はご紹介したいと思います。

保守的と言われるイタリア人も近年は世代間の意識の差が大きくなっています。イタリアでは、現在もその傾向はあまり変わらず組合の力が大きく自分たちの権利を主張する割に働かない、と評価されることがしばしばです。でも実は世代によってこれは大きく異なります。例えば若い世代は失業率が高く苦い経験を多くしているために現実的な考え方をしますし、また高齢世代は意外なほど実直で働き者な人が多いのです。イタリアは日本同様、戦後の貧困に苦しみ、食糧難ゆえに“猫の肉”も食べたと言われています。インタビューされるバリスタは70歳で、真面目にコーヒーを作り続けた人生の一端を垣間見せてくれます。最後の映画関係のエピソードはイタリア映画界の活気と気概に溢れた往時を偲ばせるものといえるかもしれません。

『50年間でエスプレッソ1500万杯を作った(ナポリ):マラドーナのバリスタ、ジョヴァンニの記録』

ジョヴァンニ・フンモの人生はコーヒーの香りで彩られている。最初彼はいわゆる“外回りの子”で言い換えれば工房で暖かい容器(デミタス・カップ)を運ぶボーイだった。その後16歳からバーカウンターの後ろで50年間毎日平均850杯のコーヒーを作るようになった。ジョヴァンニはナポリのスペイン地区出身でバリスタの長い経歴のなかで共和国大統領やマラドーナのためにコーヒーを作った。今彼は70歳で年金生活者だ。彼のキャリアで特筆すべきは歴史的カフェGran Caffè Gambrinusで働いていたことで、この素晴らしいキャリアの持ち主はプレビシト広部のここに戻り本当のナポリ風エスプレッソの秘密や数々の逸話や記録を話してくれる。

最上級の素材の質に関しては特に無視できない、《アラビア産の違いとブラジル産の違いのように》とフンモは付け加える、そして挽くことにも注意する、天候に左右されるので:一番の注意点は湿気、湿度が高ければ粉は一層分厚く密であらねばならない。反対に天気が良くて乾いていれば粉はより薄くなる。また機械は正常に圧力をかける状態にしておかなければならない、矢印は赤の方を指すように。典型的なナポリ風エスプレッソは熱い。ナポリ風エスプレッソの偉大な愛好家であるフンモの説明では《私達のエスプレッソは簡単に分かります、私たちが厳密に濃縮して作るコーヒーの力強い衝撃が残す黒いシミがカップの底に残るので。味は強く、できれば砂糖は入れてはいけません。最後に口をきれいにするために、また飲んだ物を真に高く評価するために少量の水を、コーヒーを飲む前に飲むことを忘れてはいけません、後で飲むのは絶対にダメです。なぜなら、さもなければバリスタはお客の仕草を出された飲み物に満足しなかったサインだと解釈する場合もあるからです。》

フンモは“クラシック”なエスプレッソが特にお気に入りだ。このコーヒーの麗しい成功例の本物の秘密は準備段階で心を込めることにある。こうして50年以上、誰もフンモのコーヒーに落胆することはなかった。長いキャリアのなかで愛想の良いフンモはナポリの伝統を讃え、またバルコニーの向こう側に見る多くの通行人のなかに交じる重要な人物たちに敬意をはらった:マラドーナやリッキ・エ・ポーヴェリ、サブリナ・フェリッリに至るまで、記念写真も持っている。Gran Caffè Gambrinusは常にナポリの文学者のサロンであり、そこには長きに渡って王、王妃、政治家、ジャーナリスト、文学者、芸術家が通った。最も著名な顧客の中にオーストリア皇后エリーザベトはニオイスミレのとても美味しいジェラートを試食した:ガブリエーレ・ダヌンツィオはGambrinusで有名なカンツォーネ“A’vucchella”の歌詞を作った:マティルデ・セラオは日刊紙“Il Mattino”をまさにここの小テーブルに陣取って創刊した:ベネデット・クローチェはここをナポリのセカンド・ハウスにした:オスカー・ワイルドとエルネスト・ヘミングウェイ、フランス人ジャン=ポール・サストレはシャーベットのグラスをお供にナポリに関する幾つかの考察を書いた。

今日Gamburinusはナポリで最も重要なカフェで、Associazione Culturale Locali Storici d’Italia(イタリア地方史文化協会)の一員であり、カンパーニア州の州都(ナポリ)を観光で訪れる人にとって重要な名所であり続けている。Posillipo Villa Roseberyの美しい邸宅で休暇で数日間過ごす歴代の共和国大統領たちですらもセルジョ家(Gambrinusの創業家)のベル・エポック・スタイルの優雅な菓子店で美味しい休息をとることは拒否しない。フンモ曰く《私は5人の国家元首:フランチェスコ・コッシーガ、オスカー・ルイジ・スカルファロ、カルロ・アツェリオ・チャンピ、ジョルジョ・ナポレターノ、セルジョ・マッタレッラに給仕しましたが、妻フランカと一緒に来たチャンピだけは1人でカウンターに来て私にエスプレッソを頼みました。元旦のことで私に新年の挨拶をして下さった。また別の時にコッシーガが入店するのを見た。彼は小テーブルに座ってエスプレッソとスフォリアテッレ(ナポリの焼き菓子)を注文した。コーヒーと菓子を交互に味わっていました。また元旦の話になりますが、私は彼の下に挨拶に行きました。彼は私に美味しい黒い飲み物をすすり菓子をかじることはとても素晴らしい組み合わせだと言いました。私は微笑みましたが、そんなに納得していなかったのです。》と認めた。

実際彼にとってコーヒーは何物とも組み合わせるべきではないし、もし選ぶとしたら、正しい選択はシトロンの実とリコッタをふんだんに使ったパスティエラ(ナポリ特産のパイ菓子)で、シトロンとリコッタという二つの素材は味に関する限り主役である美味しい飲み物の邪魔を全くしない。だが一方で今や年金生活に入っている親切なバリスタとコーヒーにどのような関係があったのか?《仕事中飲むのは一杯だけでした。コーヒーを脇に置いて一度に一口。良く作られたコーヒーは“置かれた”場合でも美味しいものです。》とフンモ。Gambrinusのスタッフと一緒に他の様々な種類のコーヒー(VenezianoやGegè,Brasiliano,al babà、カカオをベースに泡立てた生クリームあるいはコーヒーのクリームを添えた美味しい飲み物、コーヒーのクリームはエスプレッソと砂糖で作るべき)を生み出したにもかかわらず、彼のお気に入りは“クラシック”だ。

彼のキャリアの中で唯一の悔恨は“善良な教皇フランシスコ”にエスプレッソを作ることができなかったことだ。フンモが大事にしている思い出がある、彼にとって特に貴重なものだ:《あの時代、マジェスティック・ホテルのカウンターで働いていました。当時映画のスタッフたちが滞在していて、“I Guappi”(1974年イタリア映画)のキャストも数名宿泊していました。70年代でナポリはコレラの流行がピークに達し緊急事態に陥っていました。誰もが撮影を放棄したがっていました。ある日ホールに監督のパスクァーレ・スクイティエリと主役の女優(彼のパートナー、クラウディア・カルディナーレ)が入ってくるのを見ました。彼女は私の方へやって来て私を抱きしめました。そして私に挨拶したのです-親切で粋なバリスタはこう締めくくりました―それはナポリの人たちやコレラに対して皆を落ち着かせる勇気あるジェスチャーだったのです。》

(訳ここまで)

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