Accademia Italiana

本格的に学びたい方のためのイタリア語教室。アカデミア イタリアーナ

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唐木 麻美 )

「毒船② 元マフィアの告白」

 前回は毒船事件の概要を記した記事でした。今回は元マフィアの告白といったところでしょうか。生々しいインタビューはまるで推理小説のように展開していきますが、実際に起きた事件であり死者も複数出ていることからことの重大さがずっしりと重くのしかかるようです。

『毒の船、「有毒廃棄物は闇の組織の助けを借りて沈められる」』

船を使って産業廃棄物を不法投棄する仕事をしていた元マフィアと会った。イタリアのシークレット・サービスの役割から船を産業廃棄物の運搬に使い、最後にはその船に有毒廃棄物を満載して沈めるという一連の作業に至るまで、この“消える船”はまだ日の目を見ないイタリア史の黒点の一つになっている。

我々の情報源によると、2隻の船は2か所の港に隠されているという。 毒船とは有毒廃棄物を不法に運搬し、多くの場合荷物と共に地中海に沈められた船のことで、80年代から90年代に行われていた。その歴史は数あるイタリアの謎の中でもっとも闇に包まれているものの一つである。

私たちはある秘密の店で元マフィア(警察に協力して減刑された転向者)と会った。 彼はイタリアのシークレット・サービスが儲け(“儲けの最大部分”と我々の情報提供者は言った)の一部と引き換えに税関の通行や運搬の便宜を図ったことから“消失すべき運命の船”の話を部分的に語った。

だが毒の積荷を満載した貨物船の全てが海底に沈められたのではなく、多くの場合船は航海中に死の積荷と共に売られ、積荷の一部は海に一部は陸で消失する。

《シークレット・サービスの取り分は一番大きかった》

毒船について話す人物はンドラゲタのフランチェスコ・フォンティ(元ンドラゲタの構成員で後に転向者になる、2012年12月5日死亡)が最初で、彼がレッジョ・カラブリアの対マフィア本部の判事に語ったことは…

カラブリアのンドゥリーネ(別名コスカ、ンドラゲタの下部組織のこと)はシークレット・サービスの協力を得てイタリアやヨーロッパの工場から出た何百万トンもの有毒廃棄物を不法に満載した貨物船を沈めて消すことに成功した。フォンティは2012年に自然死し、彼の詳細な陳述で判事の仕事が容易になることはなかった。 犯罪組織とシークレット・サービスの結びつきについて話した人物は彼がである。当時の民間のシークレット・サービス、SISDE(諜報機関)の“Pino”というコードネームで活躍していた、あるスパイの人物像を語った。

ラウラ・ボルドゥリーニが指揮する下院で白日の下にさらされた文書にあるように、フォンティが語るには“Pino(ピーノ)”は廃棄物の積荷を管理し、船を沈没させるために彼と接触した人物であった。この事業はカラブリアのンドラゲタが直接手を下した仕事だった。

我々の情報提供者はフォンティが10年前に判事に言った事をより詳細に説明している「シークレット・サービスには船を管理するセクションが本当に存在した、他の何よりも大規模な事業の一部をシークレット・サービスが担って仲介役を務め、それを確かなものにするのが彼らの任務だった。イタリア版007は“税関の認可を与え、船積所に対して圧力をかけ、航海中の警備が緩いことを保証して船の旅を容易にした”要するに彼らは自分たちの影響力を用いて国内の産業廃棄物の密航を許していたという事だ。

情報提供者曰く「シークレット・サービスは最終的な廃棄には関わったのではなく、全般的な段取りだけ」で実際に彼に起きたことを例に出した。彼はシークレット・サービスの仲介のおかげで領事の認可を通じて外国へ武器を送ることができたのだ。

《船は全て沈められたのではない「イタリアの二つの港にある」》

それで、船の末路は?船は全て海の底に? エコマフィアに関する議会の査問委員会の委員長アレッサンドロ・ブラッティ自身がこれに異を唱えている、彼はインタビューでこう述べている

「危険な廃棄物を満載した船が沈められたことを否定するわけではありませんが、全ての船が沈められたとは言われていません。荷物の出発から到着すなわち消失に至る行程で立ち止まることはなかった。」

我々の情報源の証言はエコマフィア委員会の委員長の地位を高めるように思われる「幾つかの船は目的地に着く。他の船は積荷と一緒に目的地に着く前に売られる、積荷の一部は海に投棄され一部は地中に埋められる。積荷を降ろした船(すなわち海に沈められなかった船)は助けられたというべきだろう、なぜならこうした船の一部は有毒廃棄物の運搬に使われ一部は通常の一般的な積荷の運搬に充てられた」基本的に有毒廃棄物を積載した旅と単なる商業旅行と交互に使われた。

情報提供者によると「全ての船が破棄されたわけではない、沈められた船は船を失った場合の高い保険が掛けられていた、だから船主は保険料も払っていた。」

こうした船のうち2隻はまだ浮かんでいる:「不要になった2隻の船がある、そしてまだ存在している。イタリアの2港の沈殿物の中にあるがそれを突き止めるための位置を知っていなければならない、さもなければ誰も気づかない。」情報源によると、この2隻の船は廃棄物の運搬に使われ、未だに貨物室の中に積荷の一部が放棄されたままだという。私たちは何度も情報提供者に不要になった船2隻が泊められている場所の名前を言わせるように努めたが無駄だった。我々はさらなる証拠と検証を提供できる段階ではないことを鑑みて、2隻の船の存在は彼の陳述の中に留まることになった。

《不可解なルート:カラブリアではない》

フォンティによると多くの船はカラブリアの沖合に沈められた。毒船の名前と可能な限りの位置のリストを引き渡した、“消える船”に関するグリーンピースの歴史的な訴訟記録中に確認できた、一つの説がある。カーポ・スパルティヴェントからチェトラーロの海岸まで何年もカラブリアの水は有毒廃棄物の墓場だと考えられてきた。

だが我々の情報提供者の話は違う:「俺が見抜いたルートは船の航路じゃない、全部の船がカラブリア近くを行ったわけじゃなかった。」

このように示されたルートの相違はなぜ生じたのか?

その答えは「シークレット・サービスとンドラゲタとの協定によってこの願いを聞いてもらいたい、要するにこの廃棄物を廃棄させてほしい、君にはたっぷりと払うよ、と。これだけのブツを家の中に置くほど彼ら(ンドラゲタ)がカラブリアで愚かだったとあんた達は思っているのか?ナポリではうまく行ってもカラブリアは違う。」

基本的にンドラゲタは自分たちのテリトリーで有毒廃棄物の大掛かりな廃棄には同意していなかったようだ、ナポリ-カゼルタ地域のカザレージ・クランとの間に起きたことと同じではない。

2009年カラブリア州チェトラーノでCunski船の発見が話題になった。この船は沖合に沈められた船の一つだった。フォンティから判事にもたらされた情報が基だったが、環境省の見解は第2次大戦で沈んだディーゼル船カターニア号の発見に変わっていた。少なくとも当時からシルヴィオ・ベルルスコーニ政権の政府は世論に対してこの見解だった。我々の情報提供者によるとCunski号は「2回物質を運送したが、廃棄物は通常は扱っていなかった。」

彼はフォンティが言及した位置は間違っていて、海に沈められた船は毒船ではなかったという仮説に同意しているようだった。「座標は間違っていた。沈められた正確な位置に近い唯一の物はDe Graziaの位置だった、例の殺された男の。フォンティの情報は正確ではなかったがな。」

Natale De Graziaナターレ・デ・グラツィアは海軍のフリゲート艦の船長で毒船を捜査していた。1995年、捜査活動を判事に報告するためにラ・スペツィアに向かう途中で毒殺された。“消える船”に関する真実に到達する裂け目を開けたと思われる彼の捜査と同じく、彼の死は常に謎に包まれている。

Cunski号に関して情報提供者はむなしい副次的な状況を私たちに明確に指摘した「あんたたちは一つのことを重く受け止めている、Cunskiは一隻だけじゃない、この名前の船は一隻だけじゃないんだ、同じ名前で3隻以上あったんだから。同じ名前が付いた3隻の船だが旗も所有者も違っていた。」 3隻の船に一つの名前、これらは運送に使われたと思われる。もう一方の船から他方の船へ、こうして痕跡を消しながら積荷の運ぶこともできた。廃棄物の海上運送システム全体を容易にするために海の国際法の規定まであった。実際、法によるとわずか48時間で一隻の船を売ることは可能だ。旗を変えて名前を変える、闇の中を動くことを可能にする往来を容易にするこれほど早いシステムがあるのだ。

                              (訳ここまで)

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