Accademia Italiana

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唐木 麻美 )

「毒船① 産業廃棄物を満載して沖に沈められる船」

 産業廃棄物の処分は、各国で頭の痛い問題です。ごみ処理を上手に組織することはイタリアでは大変な難題で、ナポリのごみ問題(関連記事「カンパーニア地方の深刻な汚染」)にとどまらず今やローマでも家庭ごみが路上に積み重なる状態で、ごみ処理問題の解決についてラッジ市長は選挙中にごみの分別を70%まで上げることを公約したほど今や喫緊の課題になっています。

さて今日ご紹介する記事は、産廃の不法処理についてです。にわかには信じられないような驚くべき実態が語られています。

『毒の船、有毒廃棄物の海洋投棄の背後にマフィアの影』

極秘文書から暴かれた秘密:ンドラゲタ(イタリア南部カラブリア州を根城に活躍するマフィア、イタリアの犯罪組織の中で最も凶暴といわれる)が有毒な産業廃棄物を海洋投棄した。 ローマの宮殿の数々は公にすべき歴史の断片を匿っている、そこにある鍵のかかった箪笥から幾つかの大まかな犯罪の構図が見えてきた。

地中海へ不法投棄に使われる悪名高い船、毒船という名で知られている。アレッサンドロ・ブラッティが議長を務める、産廃破棄状況の調査に関する両院合同審問会で、Sismi(情報・軍事保安庁、イタリアの情報機関。現在のAise)が手にしている複数の書類を機密指定リストから外すように請願し許可された。

国の安全を脅かすことは全くない、私たちが注目するのは、民間の勇敢な調査官であるLagambiente(環境保護団体)が他の団体と一緒に90年代初頭から告発している要件に関してのみである。

放射性物質を含む産業廃棄物が通る印象的な流れは公共団体が握っている、公共団体といっても外国の団体であることがたびたびある。何十年も不法構造がまかり通ってきたおかげで、産廃の道程は世界中に広がり国内においては多種多様な方法で埋められてきた。私たちの国を汚しながら。

マフィアの仲介もこのシステムを支えるのに一役買っている。彼らは廃棄用に自分たちの縄張りを提供したのだ。海でさえもこのシステムの犠牲者になった。様々な証言によると、地中海の沖はマフィアのボスたちの演出下で計画された沈没船で消耗してしまった(特にンドラゲタの地域)。がらくたの中に混ぜた少量のトリット(高性能爆薬)で船体に簡単に穴をあけられる。 深海は秘密の保管庫さながらで、良心のとがめなど一切ない。

レッジョ・カラブリアDda(Direzione Distrettuale Antimafia対マフィア管轄局)が盗聴中に、ボスが対談相手に言った。「なあ、俺たちがどれくらい海にぶち込んだか分かるか?金を考えろよ、海への産廃で俺たちは別世界の金持ちさ…」ちなみに海へ沈める廃棄方法について、何人かの捜査官は熟知していて、彼らはオフレコで現在でもまだ続いていると断言した。

Dia(Direzione Investigativa Antimafia対マフィア捜査局)の公式記録に、1995年~2000年分だけでも海洋投棄容疑で637件以上が記録されている、52件は地中海だ。容疑というのは、つまり立件が難しいという事だ。海洋不法投棄は、波一つない海で完璧な天気の状態下で行われ、遭難信号を発することなく、公式な書類と比べて異常な積み荷と航路、 難破船に載っていた乗組員たちは救助されるや否や痕跡を消す。

水に漂う残留物に興味を示すのはロイズのような保険会社だけで、保険金を支払はなければならなかった。そのためこのような海難事故の現場では焦げる匂いがした。

現在、議会によって極秘扱いから外された書類の一つに1989年~1995年に地中海に沈められた90隻の船のリストが含まれている。このリストは放射能物質と有毒廃棄物の不法投棄疑惑に分かちがたく結びついている公共機関が所有していた。 書類に記載されたリストはレッジョ・エミリア検察と評議会の議長(ディーニ内閣)及び 国防省に送られたが、どこかの引き出しに入れられて終わった。

なぜか?

あのリストの中に、海洋不法投棄を捜査するためにレッジョ・エミリア検察が結成した捜査班の中心人物であるナターレ・ディ・グラツィア(訳注①参照)が捜査していた27隻の船が含まれていたとしても全く驚かない。

訳注① 1995年に捜査に関係した旅行中に毒殺された。

偶然にも彼の死と共にすべてが停止した。デ・グラツィアが着目していた複数の船の一艘、ディーゼル船Rigelがカーポ・スパルティヴェントのレッジョ・カラブリアの沖に沈んだのは1987年9月21日のことだった。この船が故意に沈められたことは疑いようもなく明らかだと裁判所が認めた。そして1979年5月16日にロクリの沖で沈められた船Aso、ディーゼル船ロッソがアマンテーアの近くで砂浜に座礁したのは1990年12月14日だった。 港湾監督事務所は2011年カラブリアの海を監視中に、放射能廃棄物の漂流物の回収は未経験だったとはいえ、288個の難破船の残骸に気付いた。

要約すると、「毒船」の存在を疑うのは難しい。これはシークレット・サービスの逸脱行為と、政治体制と政界からの明白な支援を受けて経済的に自分たちの不用品を片付ける産業界の要求に対処するために組織されたものだ。 シークレット・サービスと政界はある時点(90年代半ば)まで、廃棄に関する審問委員会の委員長ガエターノ・ポコレッラ自身が認めているように不法投棄を告発するためではなく隠すために行動していた。そして真相を究明しようとしたナターレ・ディ・グラツィア、イラリア・アルピ(ジャーナリスト)、Miran Hrovatin(カメラマン)(訳注②参照)が殺されたことは分かっている。

訳注②二人とも1994年3月20日ソマリアのモガディシオで不可解な状況で殺された。

これが歴史だとしても、書かれるべき正義の真実は残っている。裁判では科学的に用済みになって幾千に細切れにされた真実が、少なくとも違法行為の実態を誰かが組み立て回収するまで、拳銃からは煙が出ている。

例えばRigelが沈没した座標値店は完璧に分かっている、なぜそこから始めない?   

                             (訳ここまで)

                              毒船②に続く

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