Accademia Italiana

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唐木 麻美 )

「イタリア事件ファイル Cronaca nera N.5」

先日伝説の強盗逮捕、という珍しい事件がありました。まるで映画のような強盗人生はなかなか面白いものです。

「“Tapepa”(79歳)、イタリアで最高齢の強盗犯を逮捕」

1937年生まれのエンニオ・シニガリアは、カラビニエーリ(憲兵隊)によると銀行家を装った6人の強盗犯一味を率いて、屋敷や宝石店及び郵便局での強盗6件の罪に問われている。エンニオが背負っている犯罪歴はもっと長い。

軽機関銃とトリット(高性能爆薬)を手にした冷酷で、変装の名人。自身の“仕事”を誇りにしていて、自宅に40年間の逮捕を記録した新聞記事の切り抜きを保存しているほど自惚れ屋である。

79歳で再び手錠をかけられたエンニオ・シニガリアは、通称エンニオ爺さんあるいはタペーパはイタリアの犯罪史に名を刻む強盗犯の一人だ。オールド・スタイルの一味だとタペーパはピエモンテ方言で話す。

9月15日の夜明け、キヴァッソのカラビニエーリ隊は、モンカリエリのエンニオの自宅を急襲したとき、そこから遠くない小さな森には爆薬350gと導火線が埋められていた。年老いた被疑者はカラビニエーリ隊に「私について書かれた本の自筆コピーを渡すよ」と言った。これは冗談ではない。1937年チント・エウガネオ市(ヴェネト州パドヴァ県)生まれのタペーパの伝説は、すでに存在し、これからもそうであり続けるだろうから。

《強盗団》

キヴァッソのカラビニエーリは、エンニオ・シニガリアがイタリア人6人で構成された強盗団のリーダーと見ている。犠牲者の幾人かは殴られ、家に監禁されたり車のトランクに押し込められたりした。エンニオは強盗団の助言役及び計画立案役だったと思われる。

タペーパの最初の犯罪は1960年代に遡る、場所はピエモンテ州とリグーリア州間で行われた。捜査隊が記憶しているところでは、エンニオは軽機関銃を手に警官に化けていた。銀行、郵便局、屋敷が襲撃された。

1969年、トリノの文書偽造及び詐欺の犯罪者結社が逮捕された後、タペーパは塀の中で歴史に名を残すある暴動の扇動者の一人になった。Inphoshop Senza Pazienza誌が作成した2014年のドキュメンタリー〈Lo chiamavano Tapepa彼らは彼をタペーパと呼んだ〉のなかでこう回想している

「俺たちは完全に壊した、俺は記録簿をぶっ飛ばして供述を全部おじゃんにしたかったんだ。俺たちは屋根に上った…」タペーパ世代の犯罪者たちが彼に認めていたある種の覇権主義を誇示しつつ以下のように続けた

「カヴァッレーロ・グループ(タペーパ団と同じような一団:記者注)はトリノで一番の強盗犯だと言われていたが、それは事実じゃない。俺が最初に始めたんだ。事実カヴァレッローが俺に言っていた『お前こそが巨匠だ、お前が頭脳なんだ』ってね」。

フランチェスコ・ロザルノ警察分署長を殺害したカターニア出身のディ・ロザリオ・コンドレッリは1975年に殺された。シニガリアは「コンドレッリと1971年に刑務所で一緒だった、彼は脱獄できた」と述べた。それは2度目の暴動の年だった。

《若い人たちへのアドバイス》

2年前からタペーパを捜査していたキヴァッソのカラビニエーリはタペーパが落ち着いて事をやるようにアドバイスしているのを盗聴した。「それをおさえて、(小型の)スコップを見せて…」。そのやり方は長い経験を積んだプロのそれだ。

逮捕前の数週間は尾行した。カード式携帯を途切れることなく交換しながら。暗号での言葉のやり取り、例えば「弾丸」=キャラメル。武器と爆薬は準備万端。

エンニオ爺さんの明敏さは常に思い付きと結びついていた。1960年代に強盗団が警官に扮するようになった最初の一人が彼だった。

1998年には「ネオンの一味」(7人から成る強盗団、モンドヴィの法廷で裁かれた)のリーダーとして有名になった。セニガリアは銀行内の蛍光灯を変えるために電気屋の役目を担当した。モンレガレーゼで銀行の支店を数日で研究するためにタペーパは電気技師に化けて入り込み、突風のように2億5千万€(281億7177万3750円相当)を盗んだ。

                                                                                                                            訳ここまで

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