コラム

「変わるイタリア人」

karakimami

イタリアが共和国になって70年になりました。国としてはまだ若いかもしれません。イタリアは19世紀に紆余曲折を経て統一され、王国からムッソリーニの独裁(1861年~1945年)、そして共和国(1946年~現在)になりました。

現在シリアやその他の地域からの難民が目指す海の玄関口として、特にシチリアでは日々大勢の文化や人種が違う人たちを受け入れています。多くはEU内のもっと経済的に豊かな国を目指しますが、イタリアに留まり生活を築く人たちもいます。本来のイタリア人と他所から来た人たち、未来の姿を探す試みが様々な分野で行われています。ここではその一環として行われた、若いティーンたちに注目し彼らの意見を聞いています。

映像は下記のURLで見ることができます。https://www.corriere.it/video-articoli/news/70-anni-di-repubblica-italiana/2016/05/30/abbiamo-fatto-l-italia-nuovi-italianie-70-anni-repubblica/05864990-2687-11e6-844b-1dd7d0858058.shtml

「イタリア共和国、70年を祝して」

~“私たちがイタリアを作った”:〈新イタリア人〉と共和国の70年~

国民がこれほど大きく変わる現代においてイタリア人であることはどのような意味があるのか、ミラノの高校生100人以上が考えた。

結果?

“〈新イタリア人〉は過去つまり共和国を築いた価値観を基に未来を築くために私たちの役に立ってくれる。この意味では私たちは、全員が〈新イタリア人〉であらねばならないのだ。”

「外国人を親に持つ若者がよく憲法を引用することがあるという事実が浮かび上がりました。このような若者にとって、イタリア人を親に持つ若者以上に憲法は国家の支柱であり、すなわち様々な人種が入り混じる国を一つにまとめる要なのです。」Marco Antonsichはラフバラー大学(Claudio Ranieriのレスターから数キロの距離にある。ガーディアン紙によると英国でオックスフォード、ケンブリッジ、セントアンドリュースに続いて4番目に優秀な大学)の人文地理学の上級教官だ。

また彼はミラノの3つの高校(Liceo da Vinci, Liceo Cremona, Istituto Curie-Sraffa)で100人以上の学生と話し合いをした(その様子はビデオで見ることができる)。この映像は『New Italians: The Remaking of the nation in the age of migration』(https://newitalians.eu)と名付けられた研究から生まれたものである。これはまた、一見するととても簡単に思われる問いに答えを見つけようと試みるものである:民族的・文化的・宗教的な観点から常により一層複雑にイタリアの構成人口が変わるとしたら、国のイメージ言い換えれば『イタリア』や『イタリア人』が定義する意味もまた変わるのか?

「私たちはReteアルゴリズムにいれたを使って資料とビデオを分析して、政治の段階でこの問いに対する答えを調べました。また私たちはこの問いに新世代がどのように答えるか理解するために高校に行きました。」

どんな答えが得られましたか?ティーンの子供たちの目から見たイタリアはどのようなものだったのですか?

「クラスでのディスカッションと学生の作文から明らかになった論点は(ビデオ:大きな紙を高く掲げている。何人かはビデオ上部に映っている)3つあります。

違いを感じない、と言う人がいて:大部分の生徒たちが持っている十分な知識は、この国の歴史・文化・芸術の栄光の上に築かれたイタリア人の不変の優位性のようなものを想起させます。

またある人は反対にこう言っています:違いは感じるし、好きではない。この場合はそれぞれの違いを類型化する傾向があります:彼らの行動の仕方、洋服の着方、あるいはイタリアとまったく関係を持とうと考えない。

最後にこう言う人もいます:違いは国の一部だ。イタリア人であることは、イタリア国籍を持つ、または明るい肌色でカトリックであることを意味しません。」

彼らの間で意見交換はないのですか?

「反対ですよ、ビデオの学生たちは娯楽、消費、話すこと、流行の物や事、一つのテーブルで共に食べる喜びを分かち合いながら違いを超えて一体化し、上記のようなイメージを超えて、日常的にやり取りをし、関わり合いを持ち、友情を育んでいます。日常生活に築かれた一つの国ですね。」

子供たちが発する言葉から他に驚いたことは何ですか?

学生たちのある部分に関して、彼らの態度に少し戸惑いました。彼らは違いが何であるのか触れようとしないようでした。でも一人の学生が私に言いました:ある意味、違いについて話すことは自分とは違うということを確認することを意味すると。また違っている人たち、つまり肌の色の違いや宗教の違い、あるいは他の何かで違っている人たちは例外として扱ってほしいのではなく一人のイタリア人として扱ってほしいと真っ先に望んでいるのです。」

イタリア人のアイデンティティが“固定”しているのではないと仮定して、むしろ時間や空間とともに変わっていく、それに対していわば常に同じ場面が展開する“写真”を撮るかのようなこの研究計画を行う意味はないように思われますが?

「当然必要ですよ、それどころか異なった場所や、違う時期にこの研究を行うのはより一層意義深いです。南部や中部、また県の小規模な中心地などですね。」

若者たちのなかに、イタリア共和国に生まれたことを土台とした価値観はありますか?憲法に対して、単に憲法から恩恵を得るからというのではなく、関心というのはありますか?

「もちろんあります。それは学校の基本的な役割です。憲法は国をまとめる接着剤と見られています。結局明らかになったことは、イタリアという国やイタリア人の意味が何であるのかをあらためて書くのと同じぐらい、イタリア共和国すなわち平等、自由、権利に命を与える意義を再発見するということだったのです。

権利という大きな問題があります。これはこの研究で浮かび上がった最も重要なメッセージでしょう。

新イタリア人は過去を基に、言い換えると共和国を築いた価値観を基に未来を築くために私たちを助けてくれます。この意味で私たちは全員が“新イタリア人”であり、またそうあらねばならないのです。

                                   訳ここまで

近い将来、イタリア人の姿は大きく変わるかもしれません。その時もまたイタリアはルネッサンスやローマ時代が現在でも多くの人を引き付けるように、“Bel Paese 美しい国”(イタリアの別名)として世界を魅了するのでしょうか?

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