コラム

「イタリア版 幽霊屋敷案内 2.」

karakimami

14. フモーネ城(Castello di Fumone)フロシノーネ、ラツィオ州

古来よりナポリとローマを繋ぐラティーナ街道上にあり、地理的に重要な位置ににあるため、中世フモーネは難攻不落の砦だった。伝承では敵を幽閉し生きながらにして壁でふさいだ、城を訪れた者は今でも犠牲者の苦しむ叫び声を感じるという。

だがこの砦に関係する最も悲しい歴史は、1800年代“侯爵令息”フランチェスコ・ロンギに関わるものである。一族の財産をすべて相続する唯一の相続人(男子は彼一人だった)であったフランチェスコに7人の姉は嫉妬し、毎日少しづつ小さなガラスのかけらを弟の食べ物に混ぜて食べさせた。次第にフランチェスコは激痛に苦しみ若干5歳で死んでしまった。子供の遺体は薬品に漬けられて、蝋を塗って防腐処置(防腐処置を施した医者はその後まもなく死んだ、死んだときの状況は良く分かっていない。そのためどのような処置であったのかは不明である。)が施されたため現在でも見ることができる(城は1990年から現当主の侯爵によって一般に公開されている)。伝承では毎晩子供の母親は息子を抱いてあやすために遺体が寝かされている小箱が安置されている部屋に行く。闇が下りるころ、幽霊の足音が城内にこだまし、遺体が置かれている部屋から葬送歌とすすり泣く声が聞こえるという。

15. 聖ジョルジョ城(Castello di S. Giorgio)マントヴァ

封建領主フランチェスコ・ゴンザーガがアントニオ・ダ・スカンディアーノとの不義を疑って妻アニェーゼ・ヴィスコンティの首を切らせた。だがこれには政治的な動機があった可能性を排除できない。実際フランチェスコは僅か2年後にマルゲリータ・マラテスタと再婚している、この結婚によりリミニの有力者たちとの対ヴィスコンティ同盟を強化した。アニェーゼの霊がクリスマスの夜に現れ城をさまよう。

16. 聖マルティーノ修道院(Certosa di S. Martino)ナポリ

記念建造物全体が修道院を襲おうとして王国の警備兵に殺された数多くの幽霊に呪われている。実際に襲撃者の死体は埋葬されずに地下に投げ込まれた。その多くがまだ息があった。今でも日没時に地下から湧き上がるうめき声を聞くことができる。

17. カッカーモ城(Castello di Caccamo)シチリア

初期の城主の一人マッテオ・ボネッロはマーロと呼ばれたグリエルモ1世の手ごわい敵だった。王の相談相手を殺害後、王自身によって裏切られるまでボネッロは自身の領地に隠れた。ボネッロは捕まり、拷問されて(目を抉られ踵の腱を切られた)等の一つに死ぬまで放置された。それ以来マッテオ・ボネッロの霊は城中をさまよっている。

18. バルディ城(Castello di Bardi)パルマ

城の幽霊史は1995年にパルマの“Lettere e contrasti(文学と対立)”紙に載った二人の新聞記者の報告から始まる。記者のジャンニ・サンティとダニエレ・カロウジは砦で一夜を明かしたとき、二人のうち一人の肩上に突然現れた不定形で乳白色の何かを撮影した。この話は大騒動を引き起こし、イタリアの主要TV局に撮影された。神秘主義愛好家ダニエレ・グッラは熱システムを使って跪く騎士の輪郭を撮影した。騎士の霊はおそらく美しいソレステに恋をした守備隊の司令官モロエッロだろう。厳しい戦闘のあと敵の軍旗を掲げた軍隊が登ってくるのを見て、美しい貴婦人は愛しい人が負けたと信じてしまい自殺した。実際にはモレッロ自身が敵を侮辱するために敵の軍旗を掲げさせていたのだった、愛する人がそれを見てどんな反応を示すか思いもよらずに。

19. ミュラ城(Castello Murat)カラブリア

ナポレオン時代、ジョアッキーノ・ミュラ(ジョアシャン・ミュラ)はブルボン家のフェルディナンド4世によって捕まえられて城内に幽閉され1815年銃殺された。実際に、ピッツォの海洋船に上に戦争の財宝が残されていて、ミュラが船を2度と戻さなかったとする臆説はもちろんのこと、処刑時に所有していた私物の宝石の発見や遺体の埋葬を巡って多くの推測がある。ピッツォ・カラブロの人々は夜になると、まるでミュラの魂が復讐を要求するかのような鎖の音が聞こえると語る。

20. カステッラマーレ・ディ・スタビア(Castellamare di Stabia)ナポリ

古代の伝承では赤い服を着た中年女性が5世紀にわたって砦に住み続けていると言われている。貴婦人は家族を裏切り、罪の意識にさいなまれて自殺した。城内の“天使の部屋”は彼女のお気に入りの場所らしい。

21. アルコ城(Castello di Arco)ヴァッレ・デル・サクラ、トレント

地方史によるとアントニオ・アルコという歴代の所有者たちの一人の霊に憑かれている。彼は多くの残虐行為と悪行を犯したために1389年に殺された。

22. スフォルツァの城塞(Castello Sforzesca)イーモラ

頑固と闘争性で有名なカテリーナ・スフォルツァの霊がいるという。この貴族の女性は無分別な来訪者が彼女の財宝と秘密の部屋を見つけてしまうことを防ぐために自分の古い住居を徘徊している。

23. 植物園(Orto botanico)ルッカ

1820年ブルボン家によって作られた植物園で、魔法がかけられた所である。中には大変美しい半裸のルチダ・マンシの霊がいる。永遠に若くいるために偽名で会った悪魔に魂を売った。

24. ヴィッラ・デ・ヴェッキ(Villa de Vecchi)ビンド、ロンバルディア州

1800年代建築家アレッサンドロ・シドリがフェリチェ・デ・ヴェッキ侯爵のために設計した建物。かつて正面全体を覆っていた朱色に因んで“La casa rossa(赤い家)”という名で知られている。地下には台所、洗濯室、ワイン貯蔵庫があり、巻き上げ装置が備えられていて洗濯室から衣類を台所に運んだりするために使われた。1階には複数の食堂と客室、2階には当主の家族の寝室がある。3階は使用人の部屋だった。最上階は独特で、天文台があるはずだったが実現しなかった。建物前面の芝生には巨大な噴水がある。侯爵の死後、門番が置かれただけで家は最上階部分は崩れ落ち、現在も廃墟のままである。この建物の構造も幽霊屋敷という名声を高めるのに一役買っている。建物を巡って無数のエピソードがあるなかで、悪魔崇拝に関係したおぞましく血なまぐさい不可解な出来事がある。

25. フォスディノーヴォ城(Castello di Fosdinovo)マッサ‐カッラーラ

砦の部屋の間にマリア・ビアンカ・マラスピーナの霊と遭遇することができる。色素欠乏症のために悪魔の子供とみなされて、城内に閉じ込められたと言われている。

                               (訳ここまで)

ここでご紹介した幽霊屋敷、嘘か本当か?さあ、あなたも是非現地に行ってご自身の目で確かめてみてはいかがですか?

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