Accademia Italiana

本格的に学びたい方のためのイタリア語教室。アカデミア イタリアーナ

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唐木 麻美 )

「イタリア版 幽霊屋敷案内 1.」

イタリアの陽気なイメージと幽霊は合わないかもしれません。でも実は… 幽霊が徘徊する城や宮殿、寂れた古い住…中では未だにうめき声やすすり泣きが聞こえてくる、身の毛もよだつ所が明るい陽光の下ひっそりと佇んでいるのです。どんな所で、どんな因縁があるのでしょうか。

1. フェニス城(Castello Fenis)ヴァッレ・ダオスタ州

城の3階は観光客が立ち入りできない部分だが、大勢の観光客が天井から足音や身の毛もよだつような音が聞こえてきたと証言している。

2. ヴェッキオ宮殿(Palazzo Vecchio)フィレンツェ

伝説では、アレッツォ市出身のバルダッチョ・ダンギアーリとして知られているバルド・ディ・ピエロ・ブルーニ(1400年頃生―1441年9月6日没、傭兵)の幽霊が今も宮殿内の壮麗な部屋々をさまよっているという。フィレンツェを実質的に統治していたコジモ・デ・メディチに恐れられ、1441年9月6日正義の旗手バルトロメオ・オルランディーニが雇った男たちによってヴェッキオ宮殿で殺害された。死体はシニョリーア広場に面した窓から吊るされ、同広場で首をはねられた。彼の霊は未だに正義を待っている。

3. ダリオの家(Ca’ Dario)ヴェネツィア

ドルソドゥーロ地区に建つ宮殿(1479年、建築家ピエトロ・ロンバルドがジョバンニ・ダリオの依頼で設計した。ジョバンニ・ダリオはこの建物を結婚の贈り物として娘に贈った。ジョバンニはヴェネツィア共和国の重要な役職に就くなど富裕な商人だった。)で、大運河に直接面している。呪われた建物としてたいへん有名である。 建物の所有者は破産するか暴力的な死に見舞われると言われている。

最初の犠牲者は所有者ジョバンニ・ダリオの娘マリエッタで、夫ヴィンチェンツォ・バルバロ(彼も刺殺された)が倒産したため自殺した。夫婦の子供もまたクレタ島で奇襲されて死んだ。この悲劇はヴェネツィアではすっかり有名になり、Ca’ Darioのファサードの刻印は“SUB RUVINA INSIDIOSA GANERO”(ラテン語で「私は策略による没落の下に生まれる」の意)と変えられた。バルバロ一族は19世紀初頭までこの宮殿を所有していた。

その後アルメニア人の宝石商Arbit Abdollに売却され、ほどなくしてこの宝石商は倒産した。 1838年、宝石商は建物の売却を余儀なくされ、イギリス人Rawdon Brownに480ポンドで売った。

4年後、イギリス人は手元不如意に陥りハンガリーの侯爵に転売し、その後アイルランド人の富豪Marshallが侯爵夫人Isabelle Gontran de la Baume-PluvinelのためにCa’ Darioを購入した。フランスの詩人Henri de Régnierが侯爵夫人に招かれて滞在したが、重病に罹って帰国した。

戦後、Ca’ Darioはアメリカ人大富豪Charles Briggsが購入したが、同性愛のうわさが絶えなかったためヴェネツィアから逃げるように出て行くことを強いられた。逃亡先のメキシコで彼の愛人は自殺した。

その後長く所有者不在が続いたが、テノール歌手Mario Del Monacoが購入を試みたものの、契約書の完成のためにヴェネツィアに行く途中大事故にあい長いリハビリ生活を強いられたため、購入は諦めた。

その数年後、トリノの侯爵フィリッポ・ジョルダーノ・デッレ・ランツェが宮殿を購入、1970年建物内で恋人だったクロアチア人の水兵に殺された。水兵はロンドンに逃亡したが暗殺された。 その後ロックバンドThe WhoのマネージャーChristopher "Kit" Lambertがこの建物のロマンティックで哀愁を帯びた風情にすっかり惚れこみ購入した。建物の呪いは、今回は所有者とバンドとの関係を破壊した。彼は1974年麻薬の不法所持で逮捕され財政危機に陥った。Lambertは建物の呪いを信じてはいなかったが、「宮殿で彼を悩ます幽霊たちから逃れるため」に友人数人にホテル・グリッティ付近のゴンドラ乗りのたまり場で一夜を明かすように頼んだ。

1978年、Lambertの死の3年前に建物はヴェネツィアの実業家ファブリツィオ・フェッラーリに売却された。彼は妹と引っ越したが、妹は目撃証人もいない不可解な交通事故で死んだ。まもなくフェッラーリは財政状態が悪化し、さらにモデルを殴打したとして逮捕された。

1980年代終わりに投資家ラウル・ガルディーニが娘への贈り物にするために建物を購入したが、財政危機とタンジェントーポリのスキャンダルに見舞われて1993年はっきりしない状況のなかで自殺した。

ガルディーニの死後誰もこの宮殿を買おうとはしなかった。 90年代初めにウッディ・アレンが興味を示したが諦めた。

2002年ヴェネツィアで休暇を過ごすためにCa’ Darioを借りたベーシストのジョン・エントウィッスルが一週間後に梗塞によって死亡した。

2006年、未知の購入者の代理でアメリカの会社がCa’ Darioを購入した。

4. 魂の家(Ca’ delle anime)ヴォルトリ、ジェノヴァ

中世にリグーリア州からロンバルディア州に向かう幹線ジオヴォ旧街道に建つ数少ない宿だったが、当時こういった安宿は犯罪に使われていた。可動式天井がある複数の部屋があり、夜中になると何も知らない就寝中の客の上に天井を落下させた。こうして客の身体の自由を奪い強盗を働いた。幾世紀も前から数えきれない幽霊が古い宿に憑りつかれている。今でもなお若い女の幽霊が、恋人が殺された部屋を探し回っているという。

5. フォスカリ宮殿、通称「不満だらけの宮殿」(Villa Foscari La Malcontenta)ヴェネツィア

言い伝えによると、通称La malcontentaは淫蕩の罪で塀に囲まれたこの宮殿に幽閉されたフォスカリ家のある貴婦人に帰する。貴婦人はここで死ぬまでの30年間を過ごした。その間外に出た姿や窓辺に佇む姿を見た者はいない。彼女の霊は未だに宮殿内をさまよっている。

6. ロッタの城(Castello della Rotta)モンカリエーリ、トリノ

磁力が特別に交差し、自然エネルギーに溢れる(いわゆるパワースポット)、占星術に最適な場所に建っていると一般に言われている。その手の“専門家”によるとこの城はイタリアで最も霊が多い場所である。軍馬にまたがり武装した騎士、悪人の聖職者、教会の儀式の列(毎年6月14日)、自殺したと思しき貴族の女、幼児失踪を引き起こした邪な年老いた乳母、座って本を読み耽っている枢機卿、自分の死地から戻った黒服の男‥

7. 悪魔の塔、グイディ・ディ・ポッピ伯爵の城(Torre del diavolo, castello dei Conti Guidi di Poppi)アレッツォ

この塔にはマテルダの霊がいるという、マテルダは1200年代に生きた貴族の女性で年老いたグイディ伯爵に嫁いだ。夫が長く留守にした間に数多くの愛人を持った。しかしマテルダは愛人とのアヴァンチュールが壁の外に漏れることを許さなかった。そのため底にナイフが上向きに敷き詰められている井戸に愛人を突き落とした。しかしポッピ村の若者たちが行方不明になるに及んで村の住人が城を襲撃し、女を塔に閉じ込めた。女はそこで飢えと渇きのために死んだ。

8. モンテベッロ城(Castello di Mntebello)リミニ

16世紀末に生きたモンテベッロの封建領主の娘グエンダリーナは色素欠乏症だったという。両親は娘が他と違っていることを隠すために髪を染めることに決めた、だが頭髪は青色になってしまった。そのため娘は通称アッズリーナ(Azzurrina 「水色の娘っ子」の意)と呼ばれた。5年ごとに夏至の終わりになると地下道から娘の泣く声が聞こえると言われている。

9. モイアの片隅(Frazione Moja)ポントゥ・カナヴェーセ、トリノ

若いヴァイオリン奏者が住んでいたといわれている空き家。言い伝えではある日この若者があとかたもなく消えてしまった、以来悲痛な叫び声とヴァイオリンの音が聞こえるという。

10. マニョーニ宮殿(Villa Magnoni)コーナ、フェッラーラ

この伝説は1980年代と新しい。何人かの若者が放置された建物を探ってみようと決めた。2階の窓から年老いた女性が彼らに向かって罵り始めた時、驚いた若者たちは逃げ出して、恐ろしい事故で死んでしまった。唯一の生存者がこの話を語った。その後一つを除いてすべての窓はふさがれた。

11. クララ宮殿(Villa Clara)トレッボ・ディ・レノ、ボローニャ

いくつかの証言では一年で決まった数日に女児の鳴き声が聞こえた。1900年代初め、娘の千里眼の能力に驚いた父親によって幽閉された幼い娘の霊だといわれている。

12. 聖ラデゴンダ修道院(Monastero di S. Radegonda)ミラノ

教会は今では神聖さを失い、一部取り壊されている。伝説によるとベルナボ・ヴィスコンティの娘の霊が回廊に閉じ込められている。姦通をしたため父親によって残酷に殺された娘の霊が今でも部屋々をさまよっている。

13. トゥレス城(Castello di Tures)ヴァッレ・アウリーナ、南チロル

幽霊あるいは魔女の広間は、かつてMargarete von Taufersの私室だった。伝説ではこの若い女は身分が自分より低い男に恋をした。男はおそらく警備隊長で、女の家族はこの二人の結婚に反対した。結婚の日、殺し屋の矢が祭壇に立つ未来の夫の胸を刺し貫いた。絶望した新婦は7年間自室に籠り泣き続け愛する人が殺された日に窓から身を投げた。土地の言い伝えでは特別な夜になると若い女の嘆き悲しむ声が今でも聞くことができる。エットレ・スコラの1972年の映画「La piu’ bella serata della mia vita(障害で一番美しい夕べ)」の撮影時、(撮影が行われた城内で)アルベルト・ソルディ(イタリアの喜劇俳優、脚本家、映画監督)自身が女の嘆き悲しむ声を聞いたと言明した。

2. に続く

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