Accademia Italiana

本格的に学びたい方のためのイタリア語教室。アカデミア イタリアーナ

RUBRICA イタリアに関する情報とコラムをお知らせします。 時々イタリアでないことも。

唐木 麻美 )

3月8日はFesta della Donna(女性の祝日)②

前回の続き

② ラヴィニア、時を遡るエンジニア

「仕事を持ってきて、働きましょう」―彼女人生を変えた言葉― 今回も彼女はまるで夏の蚊みたいに正確にこの言葉を口にする、「さあ、これで終わり、さようなら」なんて言わない。

ラヴィニア・サルトリは他の人をアシストして「自分自身のプロモーター」であり「仕事を作り出さなければいけない」ことの繰り返しにうんざりしていた。 木材のエンジニアである彼女は「何か違うことができる」、「自分が推し進める土木技術を広めるために、かつて勉強したパリに戻る必要はない」という信念を持っていた。

こうしてRi-Legnoは生まれた。 最初は既成物を形作るためにセメントを流しいれることをやめることから始まった。12か月の活動と10万ユーロの売り上げ、それ以外に短期評価額は35万ユーロ。 しかしこの会社は他のようにここで終わりではない。未熟なわけでも、すべてがデジタルといったタイプでもない。いわば新しいタイプの会社だ。

創立者は3人:“彼女”は38歳のプロの技術者で1年前まで未報酬の見習い仕事から月額500ユーロの共同制作まであらゆる形態の半端仕事をせざるを得なかった。パートナーの“彼”は44歳、多国籍企業で働くエンジニアだったが仕事を辞めた。“他1名”は父親、まだまだ意気軒昂。

「焼き直しのビジネス・プランよ」ラヴィニアはせせら笑う。「使える時間を使い切ったらどうしよう、とか会社を立ち上げるなんて私にとっては荷が重すぎるかもしれないとか何度も何度も自問したわ。大学を出たばかりの若い子たちと張り合うことが怖かった。でも長い年月は良い経験になったし、それが間違いを犯さないための予防接種になっているって気が付いたの。」

こうして3人のビジネスは過去の経験から生まれた。「みんなが葬儀を執り行っていた時代の古い資材の有効活用にチャンスがあると考えたわ。」 Ri-Legnoは新しい会社の名前としては逆行しているようだけれど、アプリとか電子商取引を意味しているわけではない。

「時間を戻す」これがこの会社の目的。 「私たちの祖父母はいつも木を使っていたのに、私たちは木材がどれほ役に立つ素材なのか少しの間忘れていたわ。屋根、家、森などすでに存在する素晴らしいものをコーティングして状態を改善するように努めているのよ。」とラヴィニアは明快に説明した。

「木のドクター」彼女はそう称する、滅多にない商品だ。「どんな会社もこの仕事を信用しなかった。それで自分たちだけで始めることにしたの、リスクと恐怖を引き受けてね。」

まずは不必要な物とはさようなら。

事務所?

たばこ製造工場跡地にあるトレントの新事業推進のために割引利率が適用された賃貸物件を借りた。

社用車?

ワンボックス・カー「見栄を張って大排気量のセダンは必要ない」こう指摘して家さえも節約のために引っ越したと認めた「私たちは小さな町に引っ越したの、賃貸料が安いところにね」

投資?

すでに契約済みのところに使用する道具一式を購入しただけ。そう、なぜならマーケット・サーベイは「自分でやる」だから。

「会社を立ち上げる前に有力なクライアントのところを訪ねたのよ。私のアイデアが興味をひくものであるか確かめたかったから。5人に会って5人から良い返事を聞いたとき、時は来たと分かった。」

それで?

「それで私たちは真剣に取り掛かり始めたのよ!」

③ パオラ、Jesiで研究を進めるバイオテクノロジーの研究者

研究をすること、それをうまく進めること、特にイタリアで研究すること。「夢?私もそう思っていた、でも絶対実現しようと思ったの。でも学位を取って一か月後に丸家の中心街の家からたった15キロのところでjr.研究者の職に就いたのよ、」

パオラは、年は30歳ちょっと、5年前から売上高900万(2014年度)の のJesiのDiatech Pharmacogeneticsで個人に合わせた癌治療を研究しているゲノム薬理学部門で研究者として働いている。 「患者個々人が異なった遺伝子を持っているので、それを解読することで個人によって効果が異なる化学療法をどのように行うかがわかるのよ。私たちは遺伝子を認識できるキットの開発を目指していて、それを使って腫瘍の治療の際に各患者に有効な化学療法を受けられるようにするわけ。」

「この仕事はね、子供のころからの夢だったの。」と興奮して説明した。 パオラは 高校で科学を勉強した後、カメリーノ大学の微生物バイオテクノロジーで3年間勉強した。「そのコースで勉強していたのはたった2人だったのよ」そう回想するパオラ、彼女はその後薬学バイオテクノロジーを専攻した。

「大学の最後のコースが終わるころ学士号を二つとらないかと提案されたけれど、また3年間大学で過ごして不安定な立場でいるつもりは全くなかったわ。」

だからそれは断って、自分がやりたいことは断念して経済的に安定できる収入が見込める仕事を探すために履歴書を送り始めたの。履歴書を送って2日後にDiatechから面接をしたいと言われて、こうしてDiatechという船に乗ったのよ。」でも外国に引っ越すことも計算に入れながら、思い描いていた仕事ではないかもしれないので求職活動を続けたという。

「もしうまくくいかなかったら、外に出ようと決めていたわ。研究を続けるためにイタリア国外にいった友達がたくさんいるのよ。こういうことを考えるととても寂しいわね。」こう思い返して、ちょうど1か月前に最後の行程に入ったことを話してくれた

「いまは製品部門の責任者なの、でもここ数年は研究者5人のチームと一緒に働いていたのよ。全員無期限契約(日本の一般職の正規雇用に類似した契約)のイタリア人なのよ。」実際、会社全体では彼らを除いて30人(66%が30歳〜35歳の女性)毎年売上高の10%を最低でも研究費に充てている。

「研究者であるならだれでもこの数字が一般的じゃないことはわかっている、イタリアのような国ではね。私はラッキーだった、でも“私は例外”なんて考えなければならないことは残念だわ。」パオラはこう打ち明けて、 結腸直腸癌から肺、皮膚、脳の腫瘍や心臓脈管系の分野まで会社で扱う研究は様々だったことをはっきりと述べた。

「私にとっては大きな学校だった、いいえ、それ以上ね。考えてみて、やることはすべて具体的に人々の生活に直結し、彼らの生活の役に立つのよ。例えば私たちのキットはイタリアの主要な病院、Istituto Clinico、Humanitas、Ieo、S. Raffaele病院、ローマの生体医療大学病院などで使われる。このことからイタリアが研究に重きを置かないというのは間違っているわ、私たち全員の人生を変えるかもしれない分野なのに。」こうパオラは締めくくった。

④ エリザベッタ・フォラドリ

エリザベッタ・フォランドリは「バイオダイナミック夫人」として知られ、母でもあり、テロルデゴ(黒ブドウ品種、大部分がトレンティーノの渓谷付近でのみ栽培されている)の畑のなかで最も高く評価されるワイン酒造家でもある。

「私の人生の上半期」という30年の中で多くのことを獲得した。彼女のキャリアは早世した父が耕していたわずか数ヘクタールの畑から始まった。

「20歳だったわ、家族経営の会社が私の肩にのしかかったの。一致と衝突だった。」そう告白する。こうして地域と家族の伝統に従った。それは一見健康なブドウとほぼ完ぺきなワインの生産を最終目標とする機械的な活動の繰り返しに少し似ていた。

その後何かが変わった。エリザベッタは仕事の流れを変えて「大地のためになる」製造過程を作ろうと決心した。自然に逆らわずに、自然の中に奥深く息づくリズムを大事にしながら、世界にトレンティーノの大地から本物のメッセージを送るようにワインを作る。 「あまりにも頻繁に大量生産の名のもとで犠牲にされる多様な品種を復元するためにバイオダイナミック農法を選んだの。トレンティーノはほかの数少ない土地のように豊富な自然に恵まれていたわ、でも今では昔のようではない。ワイン用の畑も果実も違ってしまったの。」と説明する。

同時に彼女の計画は当初はもっともらしい疑い深い目で見られていたとも打ち明けた。 「ほかの農家は理解するのに苦労していた。私は若かったし、ほどほどにかわいかった。そうね、私にとってこんなことはまったく役に立たなかった。今はこの分野に多くの若い女性がしっかりしたビジョンと専門性を携えて寄ってきてくれることがうれしいと言っておくわね。私自身も男の世界で女でいることは自分が見定めた道を続けるための一つの強みだと考えたわ。」

エリザベッタは現在は24ヘクタールの畑と、年間16万本のワインを生産し70%は32か国に輸出している会社を再び案内してくれた。

「バイオダイナミック農法に至る道は簡単ではないの。既成概念を取り除き、恐怖心に理性的に対処して、伝統的な習慣を変える必要があるわ。要するに決然と大きな戦いに挑むのね。そう今私たちの誰かが何らかの方法で頭角を現したいのなら、自分の専門性を武器にしなければならないわ。他とは違う自分でいること。私たちの課題はね、あらゆるイタリア的性質を地域の特産品に変えることなのよ。」

10人の同僚のおかげで多くの結果を得られた彼女は続けて「いえ、こういったことをするのに役に立ったのは地域復興金ではなかったわ、もちろんこのような類の財政援助を利用することもできるけれど、事業というのは自分の足で立って独りで歩かなければならない。私は会社を変えようとしてきたわ、そうね、次第に私に似てくるように。直観や意志の力、実用的にバランスの取れた生活に信頼を置きながらね。」

⑤ エンリカ・アドリアーナ ハイテクノロジーに携わる数少ない女性の一人

エンリカは28歳、コンピューターで世界に羽ばたくことを夢見るが、今はハイテクの囲まれた冒険物語で活躍する一人だ。同じくカターニア出身の36歳のアドリアーナはオレンジのくずから布を作る会社:Orange Fiber社を設立した。そしてもうすぐリンゴのくずからも作れると打ち明けてくれた。

起業することは彼女の計画には入っていなかったが、ある明白な理由で踏み切った「伝統的な分野はそろそろ宴は終わりっていう感じでしょ(そう皮肉って)、だからアドリアーナの提案に飛びついたの。技術革新の道に賭けたわ。」

二人の年若い女性は仕事への熱意を分かち合い、その後ミラノで家をシェアすることになった。アドリアーナはAfolでデザインを勉強している。世界で唯一の発見を手にしていることに気が付いたときは卒業論文のための研究をしていた。オレンジのくずからエコ製品、例えば衣類は特別なナノテクノロジーのおかげで皮膚にビタミンを残してくれる、この技術は利用できる。 Politecnicoの研究所で布をテストし始めている、イタリア国内及び国際的な特許を申請して、エンリカに全行程とマネージメントの補佐を頼んだ。

「共同借家人という関係以外に、私たちは共同経営者になるのよ」エンリカは続けて「そして男の世界で仕事を確保するのよ。」

仕事を立ち上げるにあたって“バラ色の投資”には程遠い状態であることは火を見るより明らかだ。数字はもちろん重要だが単純にそればかりとはいえない、一般的な認識からもそのように言うことができる。(Mind The Bridge基金の最新の分析によると、例えば革新的な事業の87%は男性によって創立された。こういった男性たちは通常、エンジニアあるいは経済学で学士号を取得している)

「しょせん女の企画とある種のスノッブな態度で判断されることはしょっちゅうよ。私たちは若い女だけれど、明確な考えを持っている、私たちより年上で経験もあって、決まった方法で事を処理するのに慣れた男たちに命令することはいつも簡単じゃないわ。」エンリカは続けて

「私たちの賭けは今までとは違う仕事のやり方を理解させること、そして男の技術者たちが我が物顔でさばっている(少なくともイタリアではそう)革新的なハイテク業界のような分野で私たちの声を認めさせることなのよ。」

「それでもね、起業にあたっての困難は、ほかの業界ではとても得難いと思われる柔軟性を持ち、人間的でありつつ専門職を実現しようとする女性にとってまさに最良の道かもしれない」と強調した。つまり仕事と私生活のバランスということ。

それだけではない「この業界はもっと女性的でなければいけないと思う、こういう風に言うのは最終的なユーザーはいまだに大部分は女性だし、アプリの世界でも同様なのよ。しかも実用主義と私たちの特性である感性はそれぞれの事業に一つの価値を与えている」最大限の均衡を保つためにハイテク・ガールに門戸を開く男性主導の様々な事業に会ったとカターニアのスタートアッパーは鼻を高くする。 事

業の立ち上げの請け負いとコワーキングの世界に出入りするようになって、エンリカはほとんどの場合“バラ色”の事業立ち上げはなくて、しかも同僚の男性の多くが女性に助言やアドバイスを求めることに気が付いた。

「彼らは四角張ったビジョンを持っていて、とんがった角を丸くすることが必要なことがよくある、可能性を見極める、直観に従って行動することが必要よ、たとえ慎重であってもね。説明するのにはあまりにも複雑すぎるかもしれない、でもあらゆる女性は自分が問題をチャンスに変える能力を備えている事を知っている、まさにこの能力こそが発明の分野でも他と違ったことをさせてくれると思う。」

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